キハ66+67形、筑豊地区登場の頃(1975年)

 この6月30日限りで、JR九州の汎用気動車キハ66+キハ67が引退するという。ゴー・マル・サン(1975年3月15日、新幹線博多開業ダイヤ改正)の一環で筑豊地区へ投入されたキハ66(67)形は、北九州地区の国鉄に画期的な気動車として登場した。まだ電化されていなかった筑豊本線、篠栗線へ都会的な電車スタイルの車両として走り出し、何と言っても転換式クロスシートを装備した急行形に匹敵する車両だった。

 当時私は1ヶ月に2度、福岡へ行っている。そのうちの1回は筑豊のキハ66+67を追っての旅だった。筑豊地区のローカル線は網の目のような複雑な路線網を成しているが、キハ17系や35系ばかりの気動車群の中に、突然現われた新車だった。

キハ671飯塚1434D.jpg
 飯塚駅停車中の6連の1734D(1975年3月26日)。先頭車はキハ67-1である。列車番号からは営業列車のように見えるが、新製投入後のトラブルに備えて当分の間非営業で運行された。なかなか慎重だった。左上に忠隈炭鉱のボタ山が見えるが、まだ木々は生えていなかった。

キハ67回送1734D.jpg
 本来は「小倉行き」であるが、回送表示で運行された。

キハ67快速吉塚1735D.jpg
 反対ホームにキハ66+67の快速・吉塚行きがやってきた。こちらは営業列車である。これから篠栗線に入る。篠栗線は筑豊と福岡を結ぶ大幹線に成長し、直に電化された。

キハ67車内.jpg
 転換クロスシートを装備した車内。西鉄特急2000系などを意識したのだろうか?

 キハ66+67は、その優れた車内設備を生かして、急行「はんだ」号や「日田」号にも運用された。また、高運転台のデザインは、キハ40系に生かされた。もっとも、国鉄型気動車として物凄い轟音をたてる車両でもあった。1976年度のローレル賞を受賞した記念すべき車両でもある。

 筑豊地区で20数年活躍した後は、2001年から長崎地区へ転用されてシーサイドライナーなどに使われた。佐世保線の特急を受けて、早岐からのハウステンボスリレー号という連絡列車としても活躍した。今回その活躍に終止符を打つことになった。


*キハ66(67)ラストラン企画(JR 九州)
*鉄道COMの記事

**********************************************************

 この筑豊探訪は、50.3ダイヤ改正時に家族旅行で福岡に行った際に実施したものである。前日は長崎へ出かけている。筑豊へは1975年3月26日の午前中に出かけて、午後からは西鉄北九州線を撮影している。尾倉付近で撮影した写真がある。
  
 翌日は母方の親戚と福岡博へ出かけている。福岡博とは新幹線博多開業を記念して大濠公園一帯で開催されたもので、準鉄道記念物のC59-1が展示されていた。九州には軸重が重かったC62は入線できなかったので、特急牽引といえばC59かC61が定番だった。C591は長らく国鉄小倉工場で保存してあったものを博覧会にちなんで福岡に持って来て展示したものである(いまは九州鉄道記念館に移設保存)。

 C591大濠公園.jpg
福岡博覧会で会場の大濠公園に展示されていたC591号機。 



 

 

"キハ66+67形、筑豊地区登場の頃(1975年)" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント