1975年の東海・九州行き(4)/西鉄、岡山

 50.3ダイヤ改正を追った九州行き。国鉄ばかりでなく、西鉄の軌道線も訪れている。福岡、北九州とも終焉期を迎えていた。  このうち、福岡市内線はこの年の11月2日に、メインを成していた貫線、呉服町線、城南線が廃止となる。残りの循環線、貝塚支線も79年2月11日に廃止となり、福岡市内の路面電車の歴史を終えた。3月3日に福岡市内線を写…
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1975年の東海・九州行き(3)/九州内、西鉄

 1975年の東海・九州行き(1975年2月24日~3月4日)の3日目以後は福岡の祖母の家を基地としてあちこち駆け巡る。直前に迫った50.3ダイヤ改正(1975年3月10日)は、新幹線が岡山から博多まで延びて、九州方面への鉄道網が画期的変化を遂げたダイヤ改正だった。  まず、東海道新幹線開業時と異なり、並行在来線の優等列車はほぼ一…
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1975年の東海・九州行き(2)/広島、ひろでん

 1975年の東海・九州行き(1975年2月24日~3月4日)の2日目は広島から。急行「音戸」2号は新大阪を新幹線接続を取って大幅に遅れて発車したが、広島にはほぼ定刻に到着した。  広島駅は今とほとんど変わらない構造をしている。新幹線が延びてくるというのに、全く手付かずのままで博多開業を迎えようとしていた。駅構内で50.3ダイヤ改…
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1975年の東海・九州行き(1)/名鉄岐阜市内線

 きょうは「新型コロナウイルス」のワクチン接種をかかりつけ医に打ってもらう予定でいる。その概要は、別のページでどうぞ。  小1時間ほどで終わった。医師だけでなく、看護師、スタッフ総出で至れりつくせりの対応であった。2回目は3週間後になる。   *******************************************…
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西鉄甘木線の200形電車(1975年)

 一つ下のキハ66(67)形を筑豊に訪ねた翌々日(1875年3月28日)、西鉄大牟田線の久留米と花畑駅へやってきた。久留米駅は既に高架化されていたが、花畑駅はまだ地上時代である。  西鉄には九州鉄道以来の20型電車が正面5枚窓の半流線型(丸型)のまま200形として使われていた。14m車と小型なため、本線運用からはだんだん撤退してい…
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キハ66+67形、筑豊地区登場の頃(1975年)

 この6月30日限りで、JR九州の汎用気動車キハ66+キハ67が引退するという。ゴー・マル・サン(1975年3月15日、新幹線博多開業ダイヤ改正)の一環で筑豊地区へ投入されたキハ66(67)形は、北九州地区の国鉄に画期的な気動車として登場した。まだ電化されていなかった筑豊本線、篠栗線へ都会的な電車スタイルの車両として走り出し、何と言って…
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(惜別)麒麟児

 きょうの朝日新聞夕刊(2021.5.28付)の「惜別」に、元大相撲関脇、麒麟児和春氏の記事が載っている。3月1日に亡くなったことは、新聞の死亡記事で知ったが、彼とは同じ中学校(墨田区立両国中学校)の同級生である(私が3年9組、垂沢君は3年10組)。「麒麟児」という四股名は関取になってからのもので、同級生たちは本名の垂沢君と呼んでいた。…
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東銀座駅

 所用で東銀座まで出かけてきた。久しぶりの都心である。都営浅草線の東銀座駅(西馬込方面ホーム)で下車してコンコースに出ると、歌舞伎座の地階・土産物屋街につながっている。  ここはお隣の宝町駅と同様に、昭和通りの地下にホームが建設され、上下線の間には首都高の立体交差部分(アンダーパス)と地下駐車場が割って入っている。そのため、上下ホ…
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初めての北海道の鉄道(4)/札幌市電

 札幌には2泊3日滞在した。初日は函館からの移動。中日は定期観光バスを利用。最終日は札樽自動車高速線を利用して小樽へ出かけた。いずれの日にも札幌市電を撮影している。  帰路は札幌発の夜行急行「すずらん」号を利用した。青函連絡船~特急「はつかり」と乗り継いで上野へ戻ってきた。  札幌市電は北国らしい北欧風のデザインの連接車(連…
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初めての北海道の鉄道(3)/国鉄北海道総局

 朝食を松風町のホテルで済ませて、函館駅に向かう。以下は、1976年3月29日の出来事である。松風町から駅までは1停留場間なので歩いてゆくのが常道だろうが、<29>日付の乗換券をもらうためにわざわざ市電に乗った。函館駅は早朝から賑やかだった。  今のように櫛形ホームではなく、連絡船まで通じていた構内配線だったので跨線橋があった。ち…
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初めての北海道の鉄道(2)/函館市電

 青森~函館間は3時間50分の船旅だった。1976年3月28日、静寂だった船内にどこからともなくカッコーの鳴き声が聞こえてきた。そしてだんだん大きくなり、やがてカッコーワルツの音楽に変わった。  船内の案内放送では「ただいま案内所では函館から連絡する『おおぞら』号、『北海』号の『りっせき(立席)特急券』を発売しています。」との放送…
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初めての北海道の鉄道(1)/仙台市電

 九州、関西と綴ったあとは、時間が4年飛んで、初めて北海道へ行った時のことを記録しておきたい。1976年3月27日から4月1日、私は始めて北海道へ行った。青春時代は北への憧れがつのるものだが、私は北海道への衝動は全く起きなかった。それではいかんと、大学卒業後の春休み(3月)を利用して、札幌まで行ってみようと決意した。  青函連…
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1972年8月の関西再訪(3)

 1972年8月の関西私鉄の再訪。家族旅行を兼ねての2日目は、甲子園に高校野球の見学に行ってきた。といっても野球に格別関心があるわけではなく、話に聞いていた阪神電鉄の甲子園輸送を実地に体験したくてのことであった。  森ノ宮のKKR大阪から国鉄だったか地下鉄だったかは覚えていないが、梅田まで乗車した。阪神に乗り換える。臨時電車は運転…
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1972年8月の関西再訪(2)

 1972年8月18日の関西再訪初日、京阪、近鉄と乗車して天王寺へやってきた。ここで南海電鉄大阪軌道線へ乗り換える。いまは阪堺電車になってしまったが、南海が直々に運行する軌道線だった。  天王寺電停付近で撮影したが、今と違って道幅が狭かったので電車を間近に見ることが出来た。  天王寺駅は道路の島の中にあった。左手は近鉄百…
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1972年8月の関西再訪(1)

 1972年7月に関西私鉄を訪問した私は、1ヶ月と経たないうちに再び関西を訪ねた。関西私鉄は関東より2つも3つもレベルが高いと感じられた。この時は家族旅行を兼ねており、甲子園の高校野球観戦を組み入れ、野球以外では別行動で電車の乗り歩きに興じた。以下は、1972年8月18日から20日にかけての記録である。  初日は新幹線で新大阪まで…
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1972年夏の関西私鉄訪問(その2)

 関西私鉄の探訪2日目。この日は天王寺~難波~梅田~三宮~西代~大阪と巡ってきた。KKR大阪の最寄駅の大阪環状線森ノ宮駅から天王寺まで乗車する。天王寺で下車して駅前に出ると、南海電鉄大阪軌道線の路面電車が見えた。道路の拡幅工事前だったので、せせこましいが活気あふれた駅前電停だった。道路の真ん中に島状の電停があり、どちらかと言うと古典的な…
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1972年夏の関西私鉄訪問(その1)

 1972年の春に関西私鉄と北九州の鉄路を巡った私は、その年の夏休みに関西私鉄の乗り歩きに出かけた。それも1ヶ月のうちに2回行っている。いささか記憶が不鮮明になっているが、思い出すままに概要を記しておきたい。  1回目は、1972年7月17日から20日である。23:30分発の国鉄バス「ドリーム」9号京都駅行きに乗車した。夜行バスは…
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1972年の関西・九州行き(4)

 1972年3月の九州行き。福岡の祖母の家を拠点に、関西の大手私鉄、寝台特急「明星2号」、熊本市電、大分交通別大軌道線、長崎電気軌道を乗り歩いた。長崎から帰った翌日は、北九州の路面電車を探訪しに出かけた。まだまだ若かったのでいくらでも無理がきいた。以下は、1972年3月28日の西鉄北九州線の記録となる。  最初に書いた通り、この時…
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1972年の関西・九州行き(3)

 1972年3月の九州行き。初日は関西の大手私鉄を、夜に寝台特急「明星2号」で熊本に向かい、2日目は熊本市電、大分交通別大軌道線を乗り歩いて福岡の祖母の家に着いた。  そして3~4日目はしばしの休息で親戚巡り。5日目にいままで縁がなかった長崎に行ってきた。以下は、1972年3月27日の長崎の記録である。  博多から長崎までは…
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1972年の関西・九州行き(2)

 1972年の九州旅行。初日は関西で途中下車して、京阪、近鉄、南海、阪神、阪急などを乗り歩いた。夜に新大阪から寝台特急「明星2号」で熊本へ向かった。本篇はその続きで、熊本、大分の路面電車を訪ねた。1972年3月24日の出来事である。  寝台特急「明星2号」は、まだ地上駅だった熊本駅にすべり込んだ。明け方まで雨が降っていたようで…
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