1972年8月の関西再訪(2)

 1972年8月18日の関西再訪初日、京阪、近鉄と乗車して天王寺へやってきた。ここで南海電鉄大阪軌道線へ乗り換える。いまは阪堺電車になってしまったが、南海が直々に運行する軌道線だった。

 天王寺電停付近で撮影したが、今と違って道幅が狭かったので電車を間近に見ることが出来た。

南海軌道線阿倍野電停.jpg
 天王寺駅は道路の島の中にあった。左手は近鉄百貨店阿倍野店だが、いまはアベノハルカスが建っている。

南海軌道線503号車阿倍野.jpg
 天王寺を発車した最新鋭の503号車。左側にはゼブラ塗装の大阪市営バスが写っている。天王寺のど真ん中なのに高層ビルはほとんどなく、名の通った企業でも2階建ての建物に入居していた。

南海軌道線505号エアサス.jpg
 500形の台車はエアサス(KS-53)を装備していた。路面電車としては初の最新鋭車両だった。

南海軌道線505号住吉交差点.jpg
 住吉交差点の505号車。

南海軌道線218号住吉交差点.jpg
 中型車の210型も阪堺線を走っていた。このあと平野線に封じ込まれる。最後までワンマン化されなかった。

南海軌道線161号阿倍野交差点.jpg
 阿倍野交差点まで戻ってきた。まだ高速道路などない時代なので停留所から平野線の専用軌道がよく見えた。電車にはかつて行なわれていた平野線の2両連結運転のためのトリムソン型密着連結器が残っていた。

南海軌道線阿倍野交差点.jpg
 平野線から交差点を眺める。直交する上町線の200形が見えた。手前には平野線から上町線へのポイントが見える。上町線の天王寺方面西側にはいまでも鉄製の架線柱が残っている。

南海軌道線130号阿倍野斎場.jpg
 平野線の阿倍野停留所は「阿倍野(斎場前)」と呼ばれていた。元大阪市電1600形だった130号車の恵美須町行きがやって来た。交差点を渡ると左側に広大な墓地がある。

 阿倍野停留所からは徒歩で国鉄天王寺駅まで戻り、環状線で新今宮に行ったようだ。新今宮駅ホームで乗換え口の様子を観察。最初は国鉄線だけに駅が開設されたが、その後1966年12月に南海線にもホームが出来て乗換駅となった。上下で直交する形態は鶴橋駅や秋葉原駅に似ている。

 南海線と高野線は線路別複々線になっていた。まだ、600V時代である。この駅で少し撮影をしている。

6001系新今宮.jpg
 高野線の6001系。東急車輛製のバッド車のライセンスによるステンレス製の車両で、京王井の頭線の3000系同様に扉が片開きである。台車もパイオニアIII型を履いていたので東急の車両を見ているようだった。

6101系新今宮.jpg
 同じ高野線の6101系。扉が両開きになった。

7001系新今宮.jpg
 こちらは南海線の7001系。普通鋼製の車両である。扉は片開きだった。

7101系新今宮.jpg
 同じ南海線の7101系。扉が両開きになった。

特急四国号.jpg
 南海線の特急「四国」号に運用されていた11001系。転換クロスシートを装備する。一部車両のみが指定席となっていたが、普通キップだけでも乗車できた。1500V 昇圧工事が困難な系列だったので、必要最小限の数だけに工事が実施された。

 こうや号新今宮駅.jpg
 高野線のピカイチ・新こうや号。20001型4連がやってきた。

こうや号難波駅.jpg
 難波駅まで追いかけていったら、停車中に車内を観察できた。

こうや号難波駅運転台.jpg
 外観とは違って、運転機器はオーソドックスなものに見えた。20002号車(高野山方)の運転台。

難波駅ドーム型屋根.jpg
 難波駅は大阪高島屋の2階から発着するターミナル駅で、大屋根が特徴だった。このあと、難波駅改良工事ですっかり作り変えられるのだが・・。


 難波駅で下車すると宿舎のある森ノ宮へ向う。心斎橋筋を散策して、途中で中座となりにある岩オコシの銘店に立ち寄った(今はない)。そこから御堂筋線と中央線を乗り継いで森ノ宮に戻ったと思われる。夕食は家族と一緒に宿で食べたようだ。

 関西私鉄探訪の初日で、大まかな線はだいぶ見学できた。特に特急「こうや」号は予想外の巡り会わせで対面できた。2日目は甲子園へ行く。


 *1972年8月の関西再訪(3)へ






  

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