1972年の関西・九州行き(3)

 1972年3月の九州行き。初日は関西の大手私鉄を、夜に寝台特急「明星2号」で熊本に向かい、2日目は熊本市電、大分交通別大軌道線を乗り歩いて福岡の祖母の家に着いた。

 そして3~4日目はしばしの休息で親戚巡り。5日目にいままで縁がなかった長崎に行ってきた。以下は、1972年3月27日の長崎の記録である。

 博多から長崎までは新幹線がない現在でも2時間弱で到達できる。しかし、当時は電化されておらず、急行で3時間半近くかかった。特急はまだ走っていない(京都からやってくるキハ82系の特急「かもめ」が1本だけあったが・・)。博多駅で列車を観察すると、何と13両編成(長崎行き「いなさ」号9両、佐世保行き「弓張」号4両)だった。キハ58系が基本だが、冷房電源のためにキハ65も組み込まれていた。この列車ではないが、島原鉄道のキハ26も1両だけ諫早から小倉まで併結されていた。国鉄のキハ26系にはない冷房やシートカバーまで装備していた。

 そんなこんなで博多駅を発車する。車内は満席だった。佐賀で少し空いたようで、立席客がいなくなった。佐賀駅はまだ高架化される前で、駅構内には機関区があった。肥前山口で佐世保行きを切り離す。双方の編成にキロ28が組み込まれていた。

 諫早からは風光明媚な大村湾に沿って走る。喜々津~大浦間には新線が建設されており、開通目前だった。乗車した数ヵ月後に新線に切り替わった。 
 。
長崎本線急行いなさ号.jpg
 客室に座れなかったので、中間運転台の助士席に座った。なかなかの乗り心地だった。 

 長崎駅に着いた。さっそく長崎市電(といっても私鉄だが)の乗り歩き開始。最初は赤迫方面に行ったようだ。「赤迫」と読めず「あかおい」かなと思っていた。西鉄の軌道線より近代的外観をしており、長崎大学前(当時は長崎大学ではなく、「前」がついていた)や浦上車庫付近を散策する。

 中心街の浜町アーケードも散策した。初めて一人で喫茶店に入り飲み物を注文した。その時、幼児連れのお母さんから相席を申し込まれた。けっこう混んでいて満席だったのだが、喫茶店でも相席は珍しくなかった。当時は店員さんが客を案内するのではなく、自分で適当に席を見つけて座るのが一般的だった。この時のお子さんはもう50歳を越えているだろう。

長崎電気200ツーマン.jpg
 これは200形。ツーマン車のままだ。

長崎電気200ワンマン賑橋.jpg
 同じ200形でもこちらはワンマン。賑橋の上で捕らえた。赤帯が巻かれている。

長崎電気300.jpg
 こちらは300形。何となく西鉄に似ている。

長崎電気360.jpg
 ドアーが前~中間形に変わった360型。なかなか洗練されたスタイルだ。交通信号機のゼブラ模様が懐かしい。

長崎電気500台車大阪1700.jpg
 500型は車体は新製(ナニワ工機)だが、台車は大阪市電1700形から流用されている。長崎、熊本、鹿児島の市電は西鉄ではなく、大阪市交の影響が強かった。

長崎電気700都電2000.jpg
 どこかで見たような電車だが、都電杉並線用2000形の譲渡車である700形である。

長崎電気176西鉄.jpg 
 浦上車庫で西鉄からの譲渡車である木造ボギー車176号車に出会った。運転台の大きなテコを操作してステップを出し入れするのが特徴である。

浦上車庫.jpg
 浦上車庫は今と大して変わらない風景である。右側には元西鉄の160型、170型がたくさん止まっていた。休車か廃車だったと思われる。

 浦上車庫を正門の外から撮影していると中から管理職風の方が出て見えて、「いま花電車用の台車を整備しているので見ていかないか。」と誘われた。長崎電軌は当時から鉄道ファンにやさしい鉄道会社だった。しかし、まだ未成年で社会性が十分涵養できていなかった私は、何と辞退してしまった。もったいないことをした。こういうときは甘えるのが礼儀だろうに・・。

 長崎駅に戻ると、ホームには20系の「あかつき」が止まっていた。電源車は旧型客車から改造されたマニ20だった。駅前には長崎県営バスのターミナルビルがあり、そちらの方が賑わっていた。

 長崎駅からは再び急行「いなさ」号に揺られて博多駅に戻った。当時の博多行き急行は1日に6~7往復もあったが、3時間半はかかっていた。デイーゼルなので、これが普通だった。

あかつきマヤ20.jpg
 寝台特急「あかつき」に連結されたマニ20電源車。

長崎駅DD51.jpg
 長崎駅構内では、DD51がたくさん見えた。この先に長崎港駅があったが、もう使われていなかった。かつては日華連絡船の上海航路につながっていた。いまは新しくなった高架の長崎駅がある。

 長崎電気軌道は、訪問の数年前には不採算だったバス部門を切り離すために長期に渡るストライキが頻発していた。バス部門は長崎バスに譲渡されたが、いまや路面電車単独で黒字経営になり、低運賃を維持している。

 翌日は北九州市へ出かけて、西鉄北九州線、北方線を訪問した。


1972年の関西・九州行き(4)へ




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

面白い

この記事へのコメント