1972年の関西・九州行き(2)

 1972年の九州旅行。初日は関西で途中下車して、京阪、近鉄、南海、阪神、阪急などを乗り歩いた。夜に新大阪から寝台特急「明星2号」で熊本へ向かった。本篇はその続きで、熊本、大分の路面電車を訪ねた。1972年3月24日の出来事である。

明星2号熊本到着.jpg
 寝台特急「明星2号」は、まだ地上駅だった熊本駅にすべり込んだ。明け方まで雨が降っていたようで、ホームは濡れていた。

 熊本の町は小学生のころ祖母と一緒に行ったことがあるので、土地勘はあった。市電の一部が廃止されていたとはいえ、まずは中心街の辛島町周辺まで乗ってみた。

 運転台背後で観察しながら乗車したが、熊本城の見える市役所前付近で下車した。降りてから気が付いたのだが、手に持っていたカメラの三脚がない!! どうやら市電の車内に置き忘れたようだ。寝台特急でほとんど眠れなかったのでぼ~としていたようだ。どうしようかと思っているうちに次の電車がやって来た。運転士さんに相談すると、交通局前まで行って事務所に申し出ればというご宣託。

 当時市電の車庫はいまの上熊本駅前ではなく、豊肥本線のガードの手前の交通局前にあった。道路に面して操車室があり、そこで申し出た。乗った電車の車号は覚えていた。

 係員のおじさんがダイヤグラムを見ながら、「遺失物は終点の健軍で確認します」とのこと。しばらくして、「ありましたよ」と連絡がきた。電車が折り返してくるまで車庫前でおとなしく待っていた。

 やがて交替乗務員さんが三脚を事務所へ持って見えた。本当にうれしかった。丁寧にお礼を言ったつもりだが、19歳の若造だったので礼を尽くしていなかったかもしれない。以後、熊本に行くたびにこのときのことを思い出す。

 このとき以来、出かける際の持ち物を少なくするよう努めるようになった。カメラ2台(モノクロとカラー)、交換レンズ、録音機、その他の機材でカバンはいっぱいだった。そこで、カバン以外の持ち物をやめることにした。私の撮影スタイルはスナップ撮影なので、三脚はいらないのだ。

 三脚は戻ってきたが、だいぶ時間をロスしたので、辛島町の停留所周辺で市電を撮影した。大阪市電の譲渡車が結構たくさん走っており、西鉄福岡市内線とはだいぶ様相が違っていた。

熊本市電1003.jpg
 辛島町停車中の熊本市電1000形。元・大阪市電900型である。背後に見える熊本相互銀行は、いま熊本銀行に変わっている。

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 熊本市電1200形。近代的外観をしていた。

熊本市電133臨時.jpg
 旧塗装の130形。ラッシュ時だったのでワンマン化改造されていないツーマン(車掌乗務車)も<臨>の表示をして走っていた。

 再び熊本駅に戻る。今度は豊肥本線で大分に抜ける。立野までは大したことないと思っていたが、立野でスイッチバック。後退していると、車窓には大分からの本線が現われた。突っ込み線で再びスイッチバック。これで外輪山を一つ越えたことになるという。鉄道地理の教科書のような車窓展開だった。

豊肥本線立野キハ559.jpg
 立野で対向列車と交換。山岳線なのでキハ55の2エンジン車だった。

豊肥本線立野スイッチバック.jpg
 スイッチバックを後退していると、車窓には大分からの本線が現われた。

 阿蘇観光のお客さんはほとんど乗っていなかったように思う。拠点駅の宮地には、廃車となったキュウロクやC11が放置されていた。でも、当時は蒸気機関車には全く関心がなかった。

 SL廃車群.jpg
 宮地駅のSL廃車群。

 宮地駅の次は波野である。九州の駅の中で最高地点との表示があった。へえ、そうなんだと感心した。勾配を下って豊後竹田に到着する。ホームには荒城の月の音楽が流れていた。滝廉太郎ゆかりの駅だとはじめて知った。

 大分に到着するとホームにはDF50のデイーゼル機関車が止まっていた。電気式のDLは滅多に見ることが出来ないので興味深く観察した。機関車の後ろ側には特急「富士」号のトレインマークが付いていた。折り返し運用に付く際には先頭に出るのだろう。

日豊本線DF50552.jpg
 電気式DLのDF50型が牽引する日豊本線下り普通列車。

富士号ヘッドマーク.jpg
 特急「富士」号のヘッドマーク。旧客ローカル列車の後部側についていた。

 大分駅は近年大改造されたが、当時はまだ地上ホームのままだった。駅前には別大電車(大分交通別大軌道線)の電車が止まっていた。私は幼児のときに乗ったきりだったのでぜひ乗ってみようと思った。駅前から真っ直ぐ伸びる通りを行くと車庫があるという。さっそく乗車してみた。

大分駅前300型と500型.jpg
 駅前には大分交通別大軌道線の路面電車が止まっていた。廃止まで1週間を切っていた。シュロの樹との取り合わせが南国らしくていい。

大分駅前110型と506.jpg
 結構頻繁に来るので廃止とは信じられない思いだった。

 さっそく乗車する。新川という停留所で下車すると車庫があった。一番奥に2両連結車が止まっており、ぜひ見てみたかったのだが、動く気配がなかった。新川車庫はいまドンキホーテなどが入る商業施設になっている。

 通りを歩いているとかなり旧型の200形電車がやって来た。これに乗って別府の町まで行ってみようと思ったが、時間がかかりそうだ。もったいないが廃止まで1週間あるので福岡から出直して来ようと断念した。

新川車庫.jpg
 新川車庫の車両群。一番奥に2両連結車1100型が止まっていた。

新川203.jpg
 亀川行きの203号車。乗りたかったが出直してくることにした。

 出直しを決意したが、結局実行できず、別大電車はこれが最後となった。大分から博多へ向かう「青島」の車窓から別府湾沿いに走る別大電車が見えた。別府毎日マラソンの中継の際によく映っていたので印象深い。

日豊本線急行青島.jpg
 DC急行「青島」号は広島行きである。かつてはキロを2両もつないだ豪華編成だった。気動車の排気ガスで服が臭くなったが、当時はこれが当たり前だった。

大分交通耶馬渓線601.jpg
 中津では大分交通耶馬渓線と出会った。いまは高架駅となって面影がない。

 大分から乗車した急行「青島」号は広島行きのDC急行で、日豊本線を走破して小倉で乗り換えた。鹿児島本線を何に乗ったかは記憶がない。博多駅で下車して西鉄福岡市内線に乗車。渡辺通り4丁目の電停で下車して祖母の家に着いた。ちなみに、ここは今でも私の本籍地である。しかし、家はもうなくなっている。あたり一帯だれも住んでいないのだ。天神再開発で高層ビルが建つのだろう。

 さて、福岡の祖母の家を基地として、北九州や長崎の路面電車に乗ってこようと思う。


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