鉄道友の会機関誌2020年10月号(778号)

 鉄道友の会機関誌で三池鉄道の車両紹介が続いている。1回目(776号)は電気機関車、2回目(777号)は蒸気機関車、そして今回(778号/2020年10月号)は、客車篇の紹介があった。コハ100形(1948年)とホハ200形(1950年)の2車種の紹介が行なわれている。ホハ200形は国電63形に似た三段窓の車両で、コハ100形と組んで2両編成で運用されていた。

 また、それぞれに補遺の形で新しい情報が掲載されている。「三池鉄道から移籍した電気機関車」の記事では、弘南鉄道、小田急、福井鉄道の凸形電機が三池鉄道名義で新製されたとある。実ははじめて知った事実である。

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 RAILFAN2020年10月号(778号)より(鉄道友の会機関誌)

 見開きページでは佐藤進一氏の「炭鉱の人々を乗せて」と題するフォトギャラリーがあり、全盛期の旅客列車の活躍ぶりが紹介されている。詳細な竣功図もあり、初めて見るものばかりで資料的価値も高い。

 写真が撮られた年月をみると、既に私も一鉄道ファンとして活躍していた時期であるが、三池鉄道を訪問するすることはなかった。興味があったのは関東・関西の私鉄電車ばかり。かつて自分の住んでいた大牟田・荒尾の街を走っていた三池鉄道の記録を収めなかったことは返す返すも残念でならない。久しぶりに福岡へ帰ることはあっても、撮った写真は西鉄の高速電車、軌道線ばかりであった。

 今回の三井化学専用線の廃止に伴い、あらためて三池鉄道の歴史を振り返ると、最終期は三井化学専用線で活躍したタンク車、タンクコンテナが注目を浴びている。しかし、三池鉄道の真髄は旅客輸送にもあったといえる。多くの人々の生活の中に炭鉱電車の記憶は昨日のことのように残っているからである。

 三井鉱山はあちこちに社宅を建設した。なかでも荒尾市の緑が丘周辺には大規模な社宅を構え、そこと三川坑との間の鉱員輸送のために旅客専用線の玉名線まで建設した。終点の平井駅と三池港駅との間には20t電車牽引の客車列車が頻繁に運行されていた。
 
 子供のころに客車列車を眺めてはいたが、大人になって写真を撮ることはなかった。本当に悔やまれる。

三池鉄道路線図(三池炭鉱専用鉄道研究所さんのHPより)


 同時に、同誌で注目されたのは、名鉄の架線柱についての記事である。名古屋鉄道に統合されるまでの各社の架線柱の分類に興味が沸いた。かつて名古屋本線を走った時に、京成電軌によく似た上方へゆくほど細くなる架線柱に出会った。京成でも昭和7~8年ごろの鉄柱がだいぶ少なくなってきたが、鉄道敷設の際の流儀のようなものがあったのだろうか。

京成電鉄の架線柱





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