1969年の九十九里鉄道廃線跡

 1969年、私は高校2年生になった。学期始めの5月の課外学習(遠足)は、千葉県の九十九里浜にある片貝海岸だった。訪問先は生徒会で自由に提案できたが、私は誰が提案したんだと不満タラタラだった。今はサーフィンのメッカになったが、当時は知らない。

 貸切バスで東京から九十九里浜の片貝海岸まで行き、現地では自由行動となった。海岸にある海の家が開放されて、そこに荷物を置いた。砂浜でバレーボールやゲームなどを楽しむという趣向である。私の通っていた都立小松川高校は女子生徒の数の方が圧倒的に多く、1学年あたり、男子150名、女子300名という逆差別状態となっていた。

 都心からバスで東金まで走り、そこから県道に入って突き当たった先が海岸線だった。東金線の踏切を渡った先から右側の車窓に気になるもが現われた。田んぼの中に細い道路のような築堤が続いているのだ。これは鉄道線路の廃線跡に違いないとひらめいた。鉄道ピクトリアル誌で、九十九里鉄道の廃止や、その後の様子などを読んだ記憶があったからだ。

 片貝海岸に着くと、遊びの方は座して遠ざけて、中学からの友人だったK君に「どうも九十九里鉄道の跡が残っているようだから見に行こう」と誘ってみた。海岸とは反対側に歩いてゆくとバスの車庫があった。大きな屋根の研修庫のような建物もあり、これは駅に違いないと確信した。九十九里鉄道の片貝バス車庫だったのだ。

九十九里鉄道上総片貝駅跡.jpg バスの車庫になっていたが、九十九里鉄道の片貝駅跡。


 九十九里鉄道については鉄道P誌で見聞きした程度の知識しかなかったが、東金~上総片貝間を結ぶナローゲージ(762mm)の鉄道であった。小さなトロッコのような客車をボンネット型のガソリンカーが引いている写真を何度か見ていた。単端式で終点では方向転換のため転車台に乗って向きを変えていた。1961年3月1日の廃止後は東金駅構内に廃車体がたくさん置かれていた。私が巡り合ったのは、廃線から8年後のことなので、まだ遺構はあちこちに残っていたわけだ。

 片貝駅から少し歩くと、道路を横切った辺りから右カーブを描く小さな道路があった。まさしく線路であったと思われる曲線だ。その先は田んぼの中をほぼ一直線に東金駅方向に伸びていた。歩いて東金まで行ってみようかと思ったが、地理不案内の地ではいささか不安である。K 君ともども止めておいた。いまは遊歩道になっているようだが、当時は草ぼうぼうのあぜ道のような状態だった。

 これが廃線跡を探訪した最初の経験である。たいした探訪ではなかったが、以後、それらしいところに行くと、妙に勘が働くようになった。ちなみに後年、K君は地理の先生になったので、このときの経験が引き金になったと(私は勝手に)思っている。

九十九里鉄道2.jpg 片貝駅から数100mほど東金寄りに歩いた。

九十九里鉄道1.jpg 同じ地点で振り返る。これはみごとな右カーブである。線路跡であることを確信した。


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