原武史「『松本清張』で読む昭和史」と「歴史のダイヤグラム」

 鉄道ファンでもある明治学院大名誉教授・原武史氏の「松本清張で読む昭和史」(NHK出版新書2019年)が出た。私は松本清張の推理小説「砂の器」や「点と線」などは映像で見ただけで読んだことがなかった。しかし、今回小説の舞台となった香椎や亀嵩などを時刻表を基本として捉えなおした原氏の視点はなかなか面白いと感じた。現在の香椎浜は海岸線が埋め立てられ、国鉄香椎駅、西鉄香椎駅とも高架線上の駅に変わってしまっている。香椎操車場もなくなってしまった。小説の時代に即して表記すれば、西鉄宮地嶽線など呼んでいたのは鉄道ファンくらいのもので、一般には「わんてつ」と呼ばれていた。わんてつ=博多湾鉄道である。

 JR香椎線の前身である国鉄香椎線と西鉄宮地嶽線は博多湾鉄道という同じ会社の経営だった。石炭輸送が主だった線である。両線が交わる和白駅は同一会社の分岐なので当然のことながら平面交差していた(いまの立体交差は昭和40年代に出来た新しいもの)。X型のダブルクロッシングで、国鉄西戸崎方にも数10メートル架線が張ってあった(これは私の実見)。戦時統合などの紆余曲折を経て、西鉄と国鉄に分けられたものである。
 宮地嶽線は「わんてつ」、今の天神大牟田線は「急行電車」と言うのが一般の人たちの呼称だった。大牟田線を開業させたのは「九州鉄道」で、国鉄に対して電車で速い鉄道という意味で、「急行電車」と呼ばれていた。昭和17年に北九州の軌道を経営していた九州電気軌道と合併して、いまの西日本鉄道が成立した。わんてつはこの時、宮地嶽線だけが西日本鉄道となり、本体は国有化されてしまった。

 「点と線」は東京駅ホームの15番線ホームを12番線から見通せるかというところが4分間トリックとして有名になったが、私は香椎駅の地理的位置に興味がある。西鉄北九州線に「皇后崎」という電停があったが、神功皇后にまつわる地名は北九州生まれの松本清張にとって格別興味を引いたようだ。「点と線」の後の「神々の乱心」などにつながっている。もっとも、いま香椎駅にいってみても当時の面影は何もないのだが・・

 原武史新書.jpg 原武史「松本清張で読む昭和史」(NHK新書586) 


 原武史氏は、最近「歴史のダイヤグラム」という鉄道と皇室に関するコラムを朝日新聞土曜版に書いている。きょうは、原宿駅宮廷ホームが取り上げられていた。宮廷ホームは私が中学生のときに知って興味を持った。このホームの直ぐ横には代々木ゼミナールの校舎があった(いまはなくなっているだろうか)。当時ここを使う教室に通ったことがあった。何を勉強したのかは全く記憶にない。毎回宮廷ホームの前をぶらついたが、結局お召列車の類には1回も遭遇しなかった。代ゼミが大学入試ばかりでなく、中学生相手に講習会を始めたばかりのころである。
 2016年にイベントで一般公開されて以来、宮廷ホームの中に入れる機会がない。ぜひ何かの機会に公開されることを期待したい。

原武史宮廷ホーム記事.jpg 朝日新聞(2019.10.26)別刷(歴史のダイヤグラム)



 

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