Y158記念列車で黒砂信号場の旅(3)

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<黒砂信号場~東京~新鶴見操車場~鶴見~戸塚~横須賀~大船~石川町まで>


 黒砂信号場で折り返したY158記念列車は、総武快速・横須賀線を走ります。途中から新鶴見操車場に入って東海道線を下りますが、戸塚で転線して再び横須賀線に戻りました。その後は横須賀までひた走って折り返し。大船から根岸線へ転線して石川町へ帰ってきました。

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 横須賀線(品鶴貨物線)は、品川から新幹線と並走します。

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 西大井の手前から湘南新宿ラインが走る大崎支線が近づいてきます。

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 品鶴貨物線と新幹線は用地難から上下2層構造になっています。東海道新幹線の建設工事に当たってこのような苦肉の策が採られました。

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 多摩川を渡るとかつての新鶴見操車場が広がってきます。

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 いまは信号場としての機能しかありません。5番線で1分ほど停車しました。

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 新川崎駅手前で信号場の出発信号機を通過しました。

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 鶴見の手前で東海道本線を乗り越します。

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 鶴見の先で横浜貨物線を分岐しました。横浜貨物線は地下へもぐってゆきます。

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 びゅうツアーには珍しく弁当が付いていなかったので、崎陽軒の「夏のおべんとう」を買って乗り込み、横浜付近走行中に頂きました。

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 戸塚です。ホームをゆっくりと通過し、直ぐ左側の横須賀線へ転線します。

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 大船で左から根岸線との連絡線が近づいてきます。

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 合流しました。

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 逗子では総合車両製作所へ向かう京急逗子線の軌道を分岐しました。

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 横須賀に到着しました。ここで折り返しです。

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 189系クハの0番台車です。碓氷峠では常に軽井沢方でした。

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 横須賀駅では駅員さん総出で歓迎幕が掲げられました。

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 ホームの案内表示は「団体」とだけ出ていました。

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 反対側のクハは189系500番台車です。碓井峠では山麓方に編成され、EF63と連結されていました。発車2分前にドアーが閉まりました。

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 横須賀から大船まで戻ってきました。横須賀線下り線を少し逆走した後、根岸線との連絡線に入って行きました。

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 大船駅根岸線ホーム1番線でいったん停車しました。

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 石川町へ戻ってきました。ここが終点です。

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 ホームの電光表示装置です。

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 やがて回送で出てゆきました。明日もまた運用があります。

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 山下公園内の特設ブースで乗車記念品を引き換えました。列車が描かれたキタムラ特製のトートバックでした。

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 乗車記念カードを頂きました。硬券でした。


 ツアー自体は日帰りでしたが、この後「ホテルニューグランド」に宿泊しました。久々に老舗ホテルの接客を体験しました。夕食は中華街の萬珍楼へ行きました。本店がいっぱいだったので、初めて点心の店舗に入りましたが、コース料理を堪能しました。

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 中華コースの先付です。

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 これがメニューです。

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 鮑のOXジャン炒めでしょうか。

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 ホテルのコンシェルジュから予約を入れたので、ピアノや胡弓の生演奏の真ん前に座れました。

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 一夜明けて山下公園から眺めたホテルニューグランドです。公園ではY158の行事が行われており、あざやかな草花でいっぱいでした。

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 バイキングで朝食を頂きました。洋食のみで和食は置いてありません。別途「たん熊」があるからでしょう。

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 宿泊したタワー館11階からの眺めです。大さん橋が一望できました。

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この記事へのコメント

ふぉ
2017年05月31日 18:58
黒砂信号場といえば初詣輸送で蘇我方面から成田方面への列車がいったんここに入っていたようですね(乗車したことは残念ながらないのですが)
個人的に気になるのは京葉線の新砂信号場です。これに入った団体列車もなさそうなイメージなのでいつか実現するといいなと思いますが。

この日はDL&SLもおか号にて下館駅でのJRから真岡鉄道への連絡線に乗車しました。推進運転やSLの連結シーンをを車内から見学することができ、会社をまたぐためいろいろな手続きのため3度停車しての乗り入れでした。
railway
2017年06月01日 10:13
 真岡鉄道への連絡線乗車、うらやましい限りです。国鉄時代にあったかどうか記憶にないのですが、水戸線と直通運転は連絡線ファンにとって画期的ことだと思います。私も企画したのですが、黒砂信号場の方を優先したので乗れませんでした。
 新港信号場はかつてすぐ横の幸町団地に住んでいたので、千葉貨物ターミナル駅がまだ更地の時代から注目していました。団体列車が時間調整に入線した記憶がありますが、走破はなかなか難物です。

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