京成電鉄曳舟駅下り線高架化完成

 いささか旧聞に属するが、先週8月21日(金)深夜から22日(土)早朝にかけて、京成押上線の曳舟駅下りホームが高架に移設され、押上~八広間の都市計画高架化工事が完了した。
 曳舟駅は、京成創業の大正元年開駅の歴史ある駅である。駅名に現われているように、かつてこのあたりは葦の生える湿地帯で、そのため船が生活の足として使われていた。また東京大空襲では下町一体が焼けたが、ここは焼け残り、今も戦前の街並のままの狭い道路、入り組んだ路地が残る。街の歴史は墨田区内の小学校で教えられているが、墨田区は本所区と向島区が合併して出来たためか、いまもって両者の間には文化や気質の面で違いがある。
 
 曳舟駅にとって大きな転機となったのは、1960年12月4日から始まった都営地下鉄との相互直通運転である。都営5000系が押上駅を介して乗り入れてきた。また、曳舟-荒川(現・八広)間に京成からの借り受けた土地に向島信号所が設けられ、都営地下鉄の向島研修区が設置された。向島研修区は1968年の馬込検車場開設まで使われた。なお、向島研修区跡は売却されて都営アパートが建っている。

 馬込検車場開設に先立つ1968年6月、京浜急行との間でも相直運転が開始された。京急からは6両編成の1000型が押上まで乗り入れてきた。対する都営5000系も6両編成化が行なわれ、京成でも一部列車の6連化が行われた。このとき曳舟駅のホーム有効長は従来の4両対応から延長されたものの5両しか停まれず、最後部1両の締切扱いが始まった。ホームの両端が踏切にかかるため、延長できなかったのである。
 
 抜本的改良には駅を移動するしかない。翌1969年5月に曳舟駅は青砥方に移転して6連化に対応した。相対式ホームの両側に計4ヶ所の改札口が設けられたが、上下線を改札内で移動することは出来なかった。後の8連化に際しては青砥(明治通り)方にホームを伸ばした。

 その後東京都と墨田区の都市計画事業として、押上から荒川橋梁までの立体化が計画され、この区間が高架化されることになった。2013年から上り線、そして今回2015年から下り線も高架に移り、事業計画は残工事を残して完了する。

 なお、明治通りとの立体化が完了したことで、交通混雑にかなりの効果を発揮している。この明治通り(環状4号線)には、かつては都営の無軌条電車(トロリーバス)が走っていた。<103>系統で池袋駅~王子駅~大関横丁~亀戸駅を走っていた。ということは、途中で京成線と平面交差していたわけだ。架線はどうなっていたかと言うと絶縁方式ではなく、そもそも架線は張られていなかった。踏切の前後でトロリーバスはポールを畳んで動力をデイーゼルエンジンに切り替えて走っていたのである。この踏切通過時には京成電車からトロリーバスを見ることが出来た。

 新しくなった高架区間にはラダー枕木などが使われて、電車は滑るように走っている。実は中学以来の鉄道友達だったS君は、墨田区でこの高架化事業に携わっていた。しかし、完成を見ることなく一昨年早世してしまった。高架線を快走する京成電車を見せてあげたかったものだと思っている。


 *京成電鉄のホームページ


 
 
 

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