鉄道ピクトリアル9月号(特集)房総地区鉄道の興味

 今月発売された鉄道ピクトリアル誌9月号は、久々に「房総特集」だった。過去何度か特集が組まれてきたが、今回はなかなか読ませる内容だった。

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 表紙は小湊鉄道五井車庫の旧JRキハ40譲渡車両キハ40 1号車。小湊色に塗り替えられて新鮮な印象だ。

 房総の鉄道風景といえば、内房・外房海岸を走る電車が定番だが、意表を突く形で小湊鉄道の気動車が取り上げられた。おそらく初めてのことではないかと思われる。小湊にとっては光栄なことである。写っている車庫は見学会で行ったことがあるが、車体の朱色が鮮やかだ。小湊ではキハ40をさらに3両追加投入するとのこと(秋田車)。

 房総の鉄道の歴史を振り返ると、1972年の総武線東京~津田沼間複々線化完成が大きな転機になったが、もう半世紀も前の出来事である。本号では以後の様々な変遷が詳細に記されている。私もメモ書き程度には記録してきたが、細部は忘れてしまっていることが多い。なかなか参考になった。

 その中でぜひ知りたいと思っていたことがあった。それは房総夏ダイヤの中で、1963年と64年に中野-館山間を走った準急電車のことである。当時の房総西線(今の内房線)は当然ながら非電化である。そこを電車による臨時電車が走ったのである。どうやったかというと、千葉以遠の区間をディーゼル機関車DD13重連で牽引したのである。当時の房総夏ダイヤでは全国各地から気動車をかき集めて何とか臨時列車を運行したが、それでも車両が足りず、万策尽きて電車をDLで引っ張ったのだ。いかに車両事情が逼迫していたかを示している。

 私はまだ小学生だったが、この電車を目撃している。ちょうど父の運転する車で西千葉駅東側踏切に差し掛かると上り線の警報機が鳴り始めた。何が来るのかと漠然と見ていたら、何やら大きなトレインマークを付けた車両のようである。目の前に迫ってきた列車を見て仰天した。80系湘南色の正面2枚窓車なのだ。トレインマークには「準急 白浜」とあった。あれよあれよと通過してゆく80系の側面サボには<中野-館山>とあった。

 80系だけでも千葉にはない車両なのに、<中野-館山>は理解不能なサボである。房総西線は電化されていないのに何で電車が走れるのか??? 千葉駅で乗換えを強いたのだろうか、と。

 後年、この列車は非電化区間をDLで牽引した国鉄史上極めて珍しい運行方向だったことを知った。そこで、さらに疑問に思ったこと。モーターを回すことは出来ないが、電車なので室内灯はじめ最小限度の電気が必要である。どうやったのかと。津田沼電車区のクハ16を控車として連結し、非電化区間のサービス電源を確保して走ったのである。

 今回の房総特集号で、そのクハ16の車内の写真が掲載されていた。これは初めて見た。無数の蓄電池等が車内に並べられ、係員が付いていた様子がうかがえる。当時は人海戦術で不可能を可能とする時代だったといえるだろう。

 下り列車は稲毛駅の中線までは自力で走り、ここで館山方にDD13重連+クハ16を連結した。千葉駅には電車ホームの1~2番線以外架線が張られていなかったからである。上り電車は館山から架線のある千葉駅1番線に到着後、DD13+クハ16を切り離した。私が見たのは切り離し後に中野へ向かう6両の整った編成だったわけだ。

*拙著「DC王国からEC天国へ(上)(下)」鉄道ピクトリアル誌300号~301号(1974年)
*ミスターK様の紹介ブログ


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