(文集)大牟田・・遠い遠いふる里「想い出の風景」

 大牟田市立三川小学校で同級生だったIS君が、表記のタイトルの書籍を送ってきてくれた。昨年7月の大牟田水害のあと、有志により文集を作ろうとの呼びかけが行われたところ、多くの原稿が集まって「文集」が完成した。文集制作/編集委員会の手による力作である。表紙は三池鉄道早米来ガードの水彩画である。

大牟田文集表紙.jpg 表紙は三池港近くの四つ山にあった早米来ガードの水彩画である。この辺りの三池鉄道は複々線になっており、ガード先に地上線の早米来踏切があり四ツ山駅があった。なお、早米来=「ぞうめき」と読む。

大牟田文集その2三川通り.jpg
 文集には三川通りの昔の写真と、路面電車(西鉄大牟田市内線)の地図なども掲載されていた。地図は昭和15年ごろとの表記があるので、小学校は国民学校と記述されている。画像の三川通りの写真にはボンネット型の西鉄バスが写っている。「昭和30年代」とあるが、大牟田管内の西鉄バスではボンネット型は昭和30年代早々には一掃されていたので、30年代前半ではないかと思われる。道路には元軌道敷と思われる舗装が写っている。三川町2丁目と4丁目のバス停は道路がふくらんでいて、単線の路面電車が行き違いできる交換設備があったことをうかがわせる遺構がハッキリと残っている。街並み保存できればいいのだが・・。

 大牟田水害で水没した地域にはもともと三川小学校、三里小学校、船津中学校があった。そのうち旧・三川小学校の跡地に建てられたみなと小学校に多くの人々が避難していた映像がテレビ等で流された。これを契機に、この地域にゆかりのあった多くの人たちのふる里を思う気持ちに火がついてこの文集が出来上がったとのこと。

 昭和35年の三井三池争議、38年の三川抗炭塵爆発事故、40年の三池工業高校甲子園大会初出場初優勝など、歴史とともに成長してきた寄稿者の姿が浮かぶ。原稿を寄せた方々の青春時代に敬意をあらわしておきたい。


・文集「大牟田・遠い遠いふる里 想い出の風景」
・領価 1,000円(税別)
・編集 文集制作委員会(福岡市西区西の丘2-23-1立川秀宣様気付)
    メール:oomutaworks24@outlook.jp
・協力 みらい広告出版(0944-31-3423)


<私の大牟田想い出>
私の大牟田時代/三川小学校(父母を語るブログ)

<西日本新聞の記事>
市教委に贈呈(2021.1.19付)


"(文集)大牟田・・遠い遠いふる里「想い出の風景」" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント