大牟田市立諏訪小学校のこと

 きょう、私が卒業した墨田区立両国小学校の卒業記念文集を読んだ。押入れの整理をしていると、大量の写真のネガ、かつて蒐集していた鉄道関係のパンフ類などとともに出てきたのだ。見入ってしまったので片付けはオアズケとなった。

 開成中学に行ったK君の作文は6年生とは思えないしっかりした文章構成だった。九州から出てきたばかりの私にとっては、中学受験などとは想像を越える世界の話だった。男子の私立受験組は数名だったが、女子にいたってはクラスの半数以上が私立校に行ってしまった。そのため直属の両国中学校は女子生徒の数が極端に少ない学級編成だった。

 そんなことは今回の話の中心ではない。同じクラスのMさんの作文に引き込まれてしまったのだ。「6年間の思い出」と題する作文には、小学校を数回転校したことが書かれており、最初1年生で入学したのは、「福岡県大牟田市すわ小学校」とあった。エエッ、私が通っていた三川小学校の隣の学校ではないか。

 Mさんによれば、すわ小学校には1年生の2学期までいて、その後はお父上の故郷である山形県の小学校に転校したとある。転校のいきさつはお父上が人員整理にあって、会社を辞めざるを得ないことになったとある。すわ小学校は三井三池三川抗のある校区で、三井鉱山の炭住である新港住宅を中心とする社宅が立ち並んでいた。大牟田からの転出時期は昭和34年とあるので、まさに三井三池闘争の真っ只中にいたことになる。

 彼女は3年次に山形から両国小学校に転入したとのこと。私が6年生で両国小学校にやってきたときには、大牟田のことなど誰も知らないと思っていたが、実はそうではなかったのだ。逆に彼女の方が三池闘争のことは肌感覚で知っていたことになる。

 きょうの片付けは、こんなことを思い知るきっかけとなった。同様にクラスは違ったが、I君の「鉄道もけい」と題する作文も楽しく読んだ。HOゲージの車両を集めることが趣味で、集めた車両の形式の自慢話が書かれていた。I君とは中学に入ってから親しくなった。HOどころか、ライブスチームにまで手を広げ、その後鉄道雑誌で写真をみるまでになった。





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