1974年4月29日の静鉄訪問(1)清水市内線

 1970年代の北海道や関西、九州訪問の記事はこれまでにも紹介してきた。今回は近場の静岡である。4月のゴールデンウイーク(1974.4.29)に静岡鉄道に登場したばかりの1000型ステンレスカーを撮影にいったようだ。ついでにまだ健在だった清水市内線も全線走破している。清水港線にも乗ったはずだが写真がない。どうやら録音に忙しくて省略したようだ。

富士山と新幹線.jpg
 東京7:15分発の急行「東海1号」「ごてんば1号」で出発した。153系15連である。三島付近で新幹線と富士山が遠望できた。新幹線は当然ながら0系(当時はそういう言い方はしなかったが)である。

岳南鉄道.jpg
 吉原で岳南鉄道に出会う。 

153系清水到着.jpg
 清水に着いた。駅舎はまだ旧駅舎である。お隣りの貨物線には珍しくシキが止まっていたが、関心がなかったのかスルーしている。

清水駅前.jpg
清水で下車すると駅前を走っていた静岡鉄道清水市内線に乗車した。国道1号線上を横砂~西久保~清水駅前~新清水駅前~港橋と走っていた。横砂~西久保間は単線で専用軌道を、西久保~港橋間は併用軌道上を複線で走行していた。

西久保60号車.jpg
 西久保電停に停車中の60号車。電停はどこも安全地帯がなく、白線が描かれていただけだった。

西久保電停時刻表.jpg
 電停には時刻表が表示されていたが、まるでバス停のような形態である。

西久保65号車.jpg
 横砂から港橋行きの電車がやってきた。65号車は形態的には近代的外観をしていたが、旧型車の更新修繕車であった。

茶畑分岐.jpg
 専用軌道に入ると単線となり、鈴木島~袖師間で茶畑の中を東海道線から分かれてゆく。

庵原川橋梁を渡る2.jpg
 庵原川鉄橋を渡る。この2ヶ月後、集中豪雨で川が氾濫し、清水市内線は運休→廃止の道を歩んだ。

静鉄峰交換 1974.4.29.jpg
 専用軌道の途中の峰という停留所で交換となった。右側は東海道本線である。

横砂終点.jpg
 終点の横砂。簡単なホームと上屋があった。

 西久保~横砂間は撮影のため歩いたと思う、横砂からは電車に乗車して反対側の港橋方向へ向かった。

東海道線乗り越し.jpg
 国鉄清水駅前を通り越すと、東海道本線を横切るために立体交差に駆け上がってゆく。

新清水駅前.jpg
 立体交差を降りると、静岡鉄道の新清水駅前。いまより数段賑やかで栄えていた。本線とは連絡線がつながっていた。

新清水駅舎.jpg
 鉄道線の新清水駅舎。駅前食堂で昼食を食べた記憶がある。

新清水駅ポイント.jpg
 新清水駅前に停車中の清水市内線。手前に鉄道線との連絡線が見える。

56号港橋.jpg
 港橋終点の引上げ線。56号車が折り返して行く。

港橋終点.jpg
 港橋から横砂目指して折り返していた。

次郎長生家.jpg
 近くに清水の次郎長の生家があった。お土産物屋になっていた。次郎長はヤクザの大親分というより、明治維新以後は富士山麓の開墾を行なった社会事業家として後世名を残した。

 清水市内線を撮影したのは4~5月のゴールデンウイークだったが、その直後の7月7日の「七夕豪雨」で全線が冠水するという災害が起きた。車両は長沼車庫に検査のため入場していた65号車を除き、すべて被災した。静鉄では復旧を断念し、翌年(1975年)3月22日に全線廃止に踏み切った。まことにあっけない幕切れであった。

 路面電車がなくなって以降、清水市は静岡市と合併して”静新100万都市構想”を実現した。しかし、清水区になってからは何となく寂しくなった気がする。もう清水の路面電車を覚えている人が少なくなったろう。


*静岡鉄道清水市内線(歩鉄の達人)様の廃線探訪記事

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