原武史「歴史のダイヤグラム」単行本発行

 土曜日の朝日新聞朝刊別刷に連載されている原武史氏の「歴史のダイヤグラム」が単行本化された。2019年10月から始まった「be」4面の連載コラムはまだ続いているが、2021年5月を一区切りとしたものである。巻頭にある通り、「土曜別刷り<be>の好評連載、待望の新書化」といえそうだ。

 歴史のダイヤグラム2021.9.11号.jpg
 朝日新聞2021.9.11朝刊別刷「be」に連載中の「歴史のダイヤグラム」。151系ビジネス特急「こだま」号登場以後の車内風景の変容を描いたもの。クロスシートとロングシートとの構造の違いから説き起こしている。

 「be」のこの面には長らく半藤一利氏の「歴史探偵おぼえ書き」が連載されていたが、健康を害されて以後、原氏にバトンタッチされた。そのためか、当初は半藤氏の筆致を受継ぐような皇室や天皇制に関するコラムが多かったが、いまでは原氏の個人史や自身の少年時代に撮影した写真などをちりばめての連載となっている。

 原武志「歴史のダイヤグラム」.jpg
 原武史「歴史のダイヤグラム」-鉄道に見る日本近現代史(朝日新書832)

 半藤路線を引き継いだ当初で、私が一番惹かれたのは「秩父宮 上越線回りの謎」であった。秩父宮は昭和天皇の意向で青年将校から引き離すため弘前の部隊に配属替えとなっていた。しかし、2・26事件の勃発直後、急きょ上京する。その時の帰京ルートは、常識的な弘前→青森→東北本線ではなく、奥羽→羽越→信越→上越線回りのルートを採った。そして、途中の水上から東京帝国大学教授の平泉澄が乗り込んできて途中の高崎まで密談したという。(この辺りのヒントは立花隆氏の「天皇と東大」(文芸春秋刊)から得たものだろう) 平泉は戦後公職追放になる。時刻表を駆使して二人の行程を追ったくだりは秀逸である。 

 最近のコラムでは、「荷風が見た井の頭線の田園風景」に惹きつけられた。1943年に渋谷から吉祥寺まで帝都電鉄井の頭線に乗車した永井荷風の沿線風景が描かれている。1945年5月25日の山の手大空襲で帝都電鉄は20両の車両が被災したとある。永福町の車庫がほぼ全滅したので、運行できなくなっていた。実は子供のころ読んだ鉄道の児童書に、帝都電鉄の車庫(永福町?)の戦災で東横電鉄や小田急線から×××型が助っ人に来たなどという記述があった。もう昭和30年代になっていたのだが、当時住んでいた福岡県飯塚市の新飯塚駅前にあった書店には戦時中のことを描いた書籍がそのまま残っていたのだ。下北沢で小田急線とクロスしているが、世田谷代田から延びていた連絡線で車両のやり取りをしたのだろう。

 灯火管制やガラスの破損など戦時下の鉄道輸送の荒廃を描いていた本だが、戦争のことが実感として全くなくなっていた時代だったので、何か違う国のことのように思えた。この本が手元に残っていれば、”大”東急時代の東京の電車の様子、それ以上に戦時中の子供たちの遊びの様子(鉄道趣味!!)が窺いしれたことだろう。

 ところで、京王帝都電鉄が京王電鉄と改称したのは、1998年のことである。帝都電鉄の名称はだんだんと忘れ去られようとしている。「帝都」という古色蒼然たる言い回しの当否はともかく、お年寄りでも「帝都線」などとは呼ぶ人はいなくなった。軌間が違うのに、戦後直ぐ、京王線と帝都線は合併させられてしまう。ファン的には何と不合理なと思ってしまうが、経営基盤の地域割りからは合理的な選択だったといわれている。

*朝日新聞出版「歴史のダイヤグラム」

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント