東京オリンピック開幕

 きょうは1年遅れとなった東京オリンピック2020の開会式が開かれる。本来ならお祭り騒ぎとなるところだろうが、コロナ禍が収まらずに盛り上がらないイベントとなってしまった。1964年東京オリンピックを経験したものとしては、あまりの温度差に愕然とするばかりである。

 その半世紀前の東京五輪では様々なイベントが開かれた。何といっても交通機関は輝いていた。1昨年紹介したので繰り返しになるが、改めて触れておきたい。

オリンピック都電乗車券.jpg
 東京都交通局が発行した都電の記念乗車券。

 1964年の東京の鉄道交通は、乗車券類はほぼ窓口による手売りばかりであった。また、都内の交通網としては都電が最大勢力で、ちょっとした道路には路面電車が走っていた。それも車掌が乗務していた。オリンピック期間中は車掌が発行する車内券は通常のものから、このよう大型記念乗車券に全面的に切り替わった。都民の誰しもが手にしていたハズである。私は京葉道路を走っていた都電の車掌さんから記念に求めた覚えがある。同様に都バス(まだワンマンではない)も同デザインの車内券に切り替わった。

 国鉄では五輪会場の国立競技場に近い千駄ヶ谷、信濃町の両駅の中央緩行線ホームに臨時ホームを新設した。島式ホームの外側に新たにホームを作り、上下線の乗客を分離するようになった。しかし、自動改札ができるはるか前なので、降車客の精算に手間取っては施設改造の効果がない。そこで、都内各駅からは<<信濃町・千駄ヶ谷・代々木>>行きの「オリンピック特殊往復乗車券」を発売した。D型硬券で券面には赤い五輪マークが描かれていた。実に秀逸なデザインだった。窓口で発売されているのをみて買いたかったのだが、往復券なので運賃が高い(最低運賃10円のところ往復券で40円した)。小学生が記念に買うにはいささか敷居が高かった。

 私鉄や営団でも記念乗車券が発売されたようだが、なにぶん蒐集できていない。鉄道乗車券とともに、記念切手も発売されている。こちらも手持ちがない。今となっては返す返すも残念である。

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 ところで、今回の五輪では多くの小・中学生などの招待枠が設けられていたようである。しかし、1964年大会ではほぼゼロであったように思う。開会式のあった1964年の10月10日は土曜日だったので、さっさと家に帰ってテレビ観戦だった。ブルーインパルスが大空に五輪マークを描いたのは墨田区の学校の屋上からは確認できなかった。

 オリンピック関連の学校行事はほとんどなかったが、秋の運動会ではオリンピックの真似をして聖火の点火式が行なわれた。教育委員会が手に入れたのか、本物の聖火のトーチが登場した。文武両道だった6年生のK君が最終ランナーをつとめた。単に秀才というだけでなく、人格ともに仲間からも慕われる人物で、卒業後は開成中に進学した。九州から出てきたばかりの私にとって、男子の私立校への進学は別世界のことのように思えた。


 今回のオリンピックの観戦は、2種目のチケットが当選していた。テコンドーとレスリングである。とりわけ見たいと思っていたわけではないが、2013年に開催が決まったテレビを見ていた父が、「おとうさん、それまで生きていられるかなあ。」と言ったことがきっかけでぜひ見せてあげたいと思ったのだ。

 そのためには炎天下での観戦ではなく、冷房の効いたところということで、自宅近くの「幕張メッセ」を選んだ。幸いなこととに当選したので見に行く予定でいた。JR京葉線の観客輸送も見学できると踏んでいた。会場周辺の交通渋滞も予想されるが、いざとなったら歩いても行ける。でも結局、無観客での開催となった。払い戻しはオリンピック終了後との案内がメールできた。

 また、札幌でのマラソンを観戦するため、京王プラザホテル札幌を「ANAダイナミックパッケージ」で押さえていたが、こちらも「来ないで下さい」という北海道庁の強い要請!?でキャンセルした。札幌へはあらためて出かけたい。いずれにせよ、散々翻弄された挙句のオリンピック開催となった。


 

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