京成千葉線の夏ダイヤ

 かつての房総の鉄道は7~8月になると海水浴行楽客のための臨時ダイヤ(通称・房総夏ダイヤ)が組まれて、全国各地から車両をかき集める一大イベントが繰り広げられていた。他方、並走する京成電鉄千葉線はどうだったかというと、昭和30年代までは千葉までの千葉線沿線に海水浴場があったため、大いに賑わいを見せていた。直営の谷津遊園をはじめ、国鉄総武線より海側を走っていたため、幕張、稲毛、千葉海岸の海水浴客輸送は京成の独断場と言っても過言ではなかった。国鉄駅からは歩くには少し距離があった。

 しかし、東京湾岸の埋立て工事が進むと海水浴場はあっという間に姿を消した。それに代わって注目を集めたのが九十九里海岸で、蓮沼海岸はじめ東京湾のように汚染されていない外房海岸が注目を集めた。京成では京成千葉までは電車で、以遠をバスによる海水浴臨時ダイヤを設定していた。

京成55年誌トレインマーク.jpg
 これが京成の臨時電車のトレインマークである。正月の成田山とともに、夏の海水浴臨時ダイヤは京成の夏の風物詩であった。(京成電鉄五十五年史より)

 「京成電鉄55年史」(昭和42年刊)にトレインマークが載っている。各駅のホームの「優等列車案内図」にもトレインマークとともに停車駅案内が掲示されていた。下の写真は、1969年夏の臨時電車である。

京成急行いそかぜ.jpg
 京成千葉-都営線西馬込間を直通で走った急行「いそかぜ」号の3150形の4連。新千葉-西登戸(旧千葉海岸)で。(1969年8月3日)

京成特急九十九里号.jpg
 京成千葉-上野間を走った特急「九十九里」号の3100形+3200形の6連。西登戸-稲毛間で。蓮沼海岸からの帰り客で満員である。木マクラギ、レールは40キロ、通信線は電線の時代で、ホーム有効長が4両までだったので線内には停車しなかった。(1969年8月3日)

国鉄房総西線普通千倉行き101系.jpg
 対する国鉄・房総西線の普通電車は101系が代走した。通常使われていた113系が臨時快速に召し上げられたための措置で、千葉から千倉まで延々とロングシートで運用された。ちなみにこの場所は国鉄千葉駅前駅の京成ホームから写したもの。(1969年8月3日)

 その国鉄千葉駅前駅だが、地上線だった新千葉-京成千葉間を高架化して、高架下に国鉄と共同で名店街を設けた。千葉市民にとっては国鉄千葉駅~高架下名店街~京成千葉駅~奈良屋百貨店~扇屋百貨店~千葉銀座商店街~田畑百貨店~千葉駅と巡るショッピングコースが誕生していた。いまは、いずれの百貨店も現存しない。

・千葉そごう 当初の駅前通りから京成駅と一体化した現建物へ移転。2000年に経営破たんして西武・そごうグループへ。現在盛業中。
・奈良屋百貨店 駅前のそごう千葉店の隣に進出。ニューナラヤへ名称変更。その後千葉三越になるも閉店。元の創業地は専門店街セントラルプラザとなったが、その後閉店。
・扇屋 扇屋ジャスコになるも店舗は閉店。
・田畑百貨店 大火災で社長が焼死。店舗は千葉パルコとなるも、その後閉店。

 旧市街地の地盤沈下とともに、国鉄千葉駅周辺への一極集中がはじまり、千葉駅前通りからそごう千葉店が京成駅隣りに移ってきて、現在の商圏が誕生した。いま旧商業地は衰退している。

 下の写真は私が中学校を卒業したばかりのころで、高架化1年ちょっとの時期である。右側の地上に遊休地があるが、仮線を設置していた用地と思われる。

国鉄千葉駅前220型.jpg
 モハ220+クハ2000の旧型更新車4連。国鉄千葉駅前にて。背後に蒸気機関車の煙が見えるが、当時はSLには興味がなかった。(1968年3月27日)

 京成千葉線は総武線への乗客の逸走をいかにとめるかの課題があるが、かつて線内稲毛のみ停車の快速運転をもってしても歯が立たず、千葉急行線の開業も役に立たなかった。千葉線開業100周年をむかえた今日、今後どのような展開をむかえるのだろうか。

*京成電鉄千葉線の100周年記念行事



 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント