京成電鉄・船橋~千葉間開業100周年

 京成電鉄では、船橋ー千葉間が7月17日に開業100周年を迎えるのを記念して各種行事が行なわれる。

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 京成千葉線100周年を記念してスカイライナーの特別運行が行なわれる。

 京成は東京と成田山を結ぶ参詣鉄道として設立された鉄道会社である。しかし、押上から始まった京成線の路線延長の途上では、成田へ向う計画は後回しにして、県都・千葉への路線が先に建設された。船橋まで開業したあとは、当時はまだ蒸気機関車牽引で1時間に1~2本だった総武本線に対抗するため、まずは千葉へ向かうことになったのである。

 こうして1921年(大正10年)7月17日、船橋-千葉間に電車が走りはじめた。当時の千葉市街地は現在とは全く様相が異なり、国鉄の千葉駅は今の東千葉駅の東京寄りにあった。京成電車は今の新千葉を出ると国鉄・房総東線(外房線)を乗り越える築堤に駆け上がり、そのまま現在の千葉中央公園付近に設けられた京成千葉駅にすべり込んだのである。

 京成千葉駅周辺は千葉市街地の繁華街、歓楽街の中心にあった。旧国鉄千葉駅から南下する栄町~本町筋には千葉銀行本店はじめ、地元老舗店の商店街、奈良屋百貨店(→ニューナラヤ→千葉三越→閉店)などが立ち並んでいた。京成の開業で東京から県都千葉への足は京成の一人勝ちとなった。

 こうした町並みが一変するのは、昭和30年代前半の戦災復興に伴う市街地の改変である。千葉市は軍都だったので多大な戦災を受けた。その復興は戦後第一の至上命題であった。まず、国鉄千葉駅が現在地へ移転した。これで房総方面へのスイッチバック運転が解消した。支障する京成線は、軌道と駅が国鉄本千葉駅跡へ移転させられた。それに伴い、国鉄本千葉駅は京成に場所を明け渡して南側へ移転した。

 こうして1958年(昭和33年)2月10日、新千葉-京成千葉間が国鉄の高架線の海側並走する形で地上線で開業した。新しい京成千葉駅は当初は国鉄時代の跨線橋などを転用したが、直ぐに駅ビルが完成して、地上4階・地下1階のターミナルとなった。設置されたエスカレーターは千葉県初となった。

 京成千葉駅はバスターミナルを備え、千葉市内線はもとより、外房方面への海水浴バスの基地としても使われた。その後、地上線のままで開業した京成線の高架化工事が行われ、1967年5月24日から京成千葉線は高架線となった。

 その半年後の12月1日、京成線がもっとも国鉄千葉駅に接近する富士見町付近のカーブ上に乗換えの便を計って?新駅が開業した。駅名を聞いて京成ファンは驚愕した。なんと「国鉄千葉駅前」駅と称することになったのである。まるでバスの停留所のようなネーミングである。

 その後国鉄のJR化に伴い、1987年4月1日から国鉄千葉駅前は「京成千葉」に、元の京成千葉は「千葉中央」に改められた。しかし、国鉄総武線の複々線化と快速電車の新設は、京成千葉線に決定的打撃をあたえた。京成線は全く歯がたたなくなった。

 京成千葉線から都心方面への流動は極めて小さく、それに2006年から始まった新京成電鉄の千葉乗り入れで、千葉線の果たす役割はローカルなものになっている。京成本線への直通運転を原則として行わず、新京成線との直通運転は理に適ったものである。

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 京成津田沼駅・新京成ホームに停車中の京成千葉線3500形電車。

 京成千葉線には開業以来、千葉駅付近の都市計画に従う線路切換え以外大きな変化はない。しかし、京成津田沼駅の大改良工事、幕張本郷駅の新設、京成幕張駅のホーム延長に伴う駅移転などの変化はあった。かつて京成が免許申請していた東陽町ー蘇我間の新線建設は鉄道建設公団~京葉線で実現した。

 今回の100周年記念イベントはスカイライナーが千葉線を走行するなどの行事が行なわれるようだが、千葉県の鉄道建設の歴史を振り返るきっかけとなれば幸いである。

*京成電鉄の記念行事プレスリリース

<参照文献>
・京成電鉄五十五年史(昭和42年6月3日刊)
・京成電鉄85年の歩み(平成8年6月22日発行)

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この記事へのコメント

ゴリライモ
2021年07月12日 23:20
こんばんは~

「国鉄千葉駅前」という京成線の駅名。
ちょっと、いや、だいぶ衝撃的です (笑)
railway
2021年07月13日 16:06
 ご訪問ありがとうございます。
 駅名変更の時期は、京成の経営が大きく傾いたころで、運輸省(当時)から送りこまれた官僚上がりの経営陣が仕切っていた時代でした。国鉄に対する反発どころか、スリヨリがはびこった時代で、まさに実利を求めた結果でしょう。経営方針は不動産や流通への投資をやめ、京成百貨店上野店は10年で閉鎖、駅の多角化も鳴りをひそめました。東急や阪急のような多角経営は京成にはありませんねえ。