沖縄・慰霊の日(6月23日)

 沖縄都市モノレール・ゆいレール(おもろまち)2013年  今日は沖縄戦が終結した「慰霊の日」である。本土では終戦記念日の8月15日が有名だが、唯一戦場となった沖縄戦のことは、多くの人々が忘却してしまっている。6月23日は戦闘が終了した日で、沖縄では学校が休みとなる。  はじめて沖縄のことを考えるようになったのは、196…
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新京成電鉄・二和向台駅

 先日ふとしたきっかけで、「わが心の集団就職列車」というドキュメンタリーを見ました。1999年に鹿児島テレビが製作したもので、鹿児島では中学を出た多くの15歳の少年少女が、大阪や名古屋に就職しました。    東京の視点では東北からの集団就職が注目を集めますが、九州や四国からは主に関西圏を中心に求人活動が行なわれました。放送は昭和34…
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1975年の東海・九州行き(4)/西鉄、岡山

 50.3ダイヤ改正を追った九州行き。国鉄ばかりでなく、西鉄の軌道線も訪れている。福岡、北九州とも終焉期を迎えていた。  このうち、福岡市内線はこの年の11月2日に、メインを成していた貫線、呉服町線、城南線が廃止となる。残りの循環線、貝塚支線も79年2月11日に廃止となり、福岡市内の路面電車の歴史を終えた。3月3日に福岡市内線を写…
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1975年の東海・九州行き(3)/九州内、西鉄

 1975年の東海・九州行き(1975年2月24日~3月4日)の3日目以後は福岡の祖母の家を基地としてあちこち駆け巡る。直前に迫った50.3ダイヤ改正(1975年3月10日)は、新幹線が岡山から博多まで延びて、九州方面への鉄道網が画期的変化を遂げたダイヤ改正だった。  まず、東海道新幹線開業時と異なり、並行在来線の優等列車はほぼ一…
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1975年の東海・九州行き(2)/広島、ひろでん

 1975年の東海・九州行き(1975年2月24日~3月4日)の2日目は広島から。急行「音戸」2号は新大阪を新幹線接続を取って大幅に遅れて発車したが、広島にはほぼ定刻に到着した。  広島駅は今とほとんど変わらない構造をしている。新幹線が延びてくるというのに、全く手付かずのままで博多開業を迎えようとしていた。駅構内で50.3ダイヤ改…
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1975年の東海・九州行き(1)/名鉄岐阜市内線

 きょうは「新型コロナウイルス」のワクチン接種をかかりつけ医に打ってもらう予定でいる。その概要は、別のページでどうぞ。  小1時間ほどで終わった。医師だけでなく、看護師、スタッフ総出で至れりつくせりの対応であった。2回目は3週間後になる。   *******************************************…
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西鉄甘木線の200形電車(1975年)

 一つ下のキハ66(67)形を筑豊に訪ねた翌々日(1875年3月28日)、西鉄大牟田線の久留米と花畑駅へやってきた。久留米駅は既に高架化されていたが、花畑駅はまだ地上時代である。  西鉄には九州鉄道以来の20型電車が正面5枚窓の半流線型(丸型)のまま200形として使われていた。14m車と小型なため、本線運用からはだんだん撤退してい…
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キハ66+67形、筑豊地区登場の頃(1975年)

 この6月30日限りで、JR九州の汎用気動車キハ66+キハ67が引退するという。ゴー・マル・サン(1975年3月15日、新幹線博多開業ダイヤ改正)の一環で筑豊地区へ投入されたキハ66(67)形は、北九州地区の国鉄に画期的な気動車として登場した。まだ電化されていなかった筑豊本線、篠栗線へ都会的な電車スタイルの車両として走り出し、何と言って…
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