沖縄・慰霊の日(6月23日)

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 沖縄都市モノレール・ゆいレール(おもろまち)2013年

 今日は沖縄戦が終結した「慰霊の日」である。本土では終戦記念日の8月15日が有名だが、唯一戦場となった沖縄戦のことは、多くの人々が忘却してしまっている。6月23日は戦闘が終了した日で、沖縄では学校が休みとなる。

 はじめて沖縄のことを考えるようになったのは、1967年墨田区立両国中学校3年のときの「沖縄豆記者」交換事業であった。沖縄からの数名の中学生がわが中学校にやってきた。生徒の家にホームステイし、後日東京からも沖縄へ出かけていった。私たちは夏休みに1日登校して、歓迎会を開いた。ちょうど友人のST君の家に泊まったことで、より親密に考えるようになった。

 引率の先生に連れられた沖縄の中学生は本島ばかりでなく石垣島などからもやってきていた。まだ沖縄の祖国復帰(1972年)前なので、行き来には大変な苦労があった。何といっても米軍占領下なのでパスポートがないと自由に行き来できない。1958年に初めて甲子園に出た首里高の生徒さんが甲子園の土を持って帰れず、植物検疫の関係上、船の甲板から海中に捨てさせられた話題は大きく報じられた。
 
 石垣中の校歌を聞いた後に、引率の先生から「石垣から那覇まで1昼夜、那覇から鹿児島まで2昼夜、西鹿児島駅から東京まで寝台特急で1昼夜かかりました」と紹介があったときにはビックリした。飛行機は一般化していない時代だった。ST君の家ではマンガを読んだり、東京見物をしたりと大変ゆったりした時間をすごしたようだ。これが沖縄のことにはじめて接した端緒である。

 初めて沖縄に行ったのは、1999年11月である。当時関わっていたある事業の下見で那覇へ出かけた。両中のときから30余年が経っている。既に様々な人脈が出来ていたので、米軍基地の中にも入っている。

 それ以後数回訪問していて、沖縄市(かつてはコザ市と呼ばれていた)や南部地域の街も詳しくなった。特に沖縄自動車道は那覇と沖縄市との間を自分で運転して往復した。複雑な路線バスも試したかったが果たせていない。これは主に会社が連携せず並立していたためだ。

 沖縄軽便鉄道の跡地巡りはほぼ全線たどって来たが、橋脚や駅舎跡などは見つけられなかった。また、海中道路を経由して伊計島まで行っている。石油備蓄基地とサトウキビ畑が広がっていた。

 最新は2013年6月で、クラブツーリズムの旅であった。父がぜひ行ってみたいと言い出したので連れて行った。沖縄定番の観光地の多くは私も行ったことがなかったので好都合だった。この時のバスガイドさんは大変優秀な方で、「平和の礎」や「ひめゆりの塔」などでは添乗員さんを説得して時間を伸ばして案内して下さった。

 以来、沖縄旅行には行ってないが、コロナ禍が終了すれば、真っ先に出かけてみたいと思っている。何といっても沖縄モノレールの延長区間(首里-てだこ浦西間)が未乗のままなのだ。何としても完乗したいと思っている。

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 平和の礎(2013年6月22日、記念式典会場前で撮影)

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 「沖縄戦衝撃の写真集」 米軍が写したおじいさんの褌を木に巻きつけて壕(ガマ)から出てきた少女。日露戦争に従軍したおじいさんは、日本軍の将校以上にジュネーブ条約を理解していた。法教育の重要性を示す好例であろう。


*普天間基地移設問題



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