1975年の東海・九州行き(2)/広島、ひろでん

 1975年の東海・九州行き(1975年2月24日~3月4日)の2日目は広島から。急行「音戸」2号は新大阪を新幹線接続を取って大幅に遅れて発車したが、広島にはほぼ定刻に到着した。

 広島駅は今とほとんど変わらない構造をしている。新幹線が延びてくるというのに、全く手付かずのままで博多開業を迎えようとしていた。駅構内で50.3ダイヤ改正で廃止となる特急群を撮影したが、「つばめ」「はと」「しおじ」などが次々にやってきた。

 「つばめ」は岡山-博多を結ぶ特急だが、485系と583系の両方で運行されていた。ダイヤ改正後の配転を睨んで、485系の先頭ボンネットの愛称板は白地だった。なんとも間の抜けた印象だった。他方、583系は側面の方向幕の取替えをやっていたようで、作動していなかった。

 「はと」は、岡山-下関間を結ぶ特急で、九州へは乗り入れていない。そのため181系が使用されるスジがあった。「しおじ」は、新大阪-下関間の特急だったが、同様に485系の他に181系直流車のスジもあった。

特急つばめ583系.jpg
 583系を使用した「つばめ」号。

特急はと.jpg
 485系を使用した「はと」号。直流区間しか走らないが485系を使用していた。

特急しおじ.jpg
 特急「しおじ」号。こちらも485系の運用。

急行山陽号.jpg
 153系の急行「山陽」号。転用後を考えて6連で運用されていた。

急行青島.jpg
 キハ58系の急行「青島」号。改正後は本州へは来ないようになった。

急行屋久島.jpg
 客車急行「屋久島」号。EF58牽引で蒸気暖房の蒸気が盛大に上がっていた。

80系電車.jpg
 ローカル電車は80系が活躍していたが正面3枚窓が残っていた。


 最晩年の山陽~九州特急の活躍ぶりがうかがわれた広島駅だった。他方、駅前には広島電鉄の路面電車がさかんに出入りしていた。どこを乗ったのか記憶があいまいなのだが、海岸通りまで行ったのは間違いない。宮島線へも足を伸ばしている。

ひろでん2000形.jpg
 銀山町で2000系の2両連結車をとらえる。

ひろでん2500形.jpg
 2500系の連接車。旧型電車の改造で生まれた車両である。草津まで行っていた。

ひろでん1033号車.jpg
 広電の高床車1030形の1033号車。高床ホームを使って運行されていた。高床式電車は1991年8月まで使われた。

ひろでん1053号車高床車.jpg
 高床車の1053号車。元京阪神急行電鉄の車両である。左右非対称のドア配置で、車掌の乗務の便がはかられている。

ひろでん902号海岸通り.jpg
 海岸通りを大阪市電と神戸市電が行く!


 夕方に広島駅に戻って博多行きの特急「つばめ」号に乗車した。相席になった中年のお客さんは岡山から乗車されていたが、千葉の人だと解って話が弾んだ。何と同時通訳をやっている方で仕事で福岡へ行くとのこと。私が学生だというと、突然英語で話しかけてきた。以後は博多到着まで会話は英語となった。試されてるなと思った。

 しかし、だんだんと私の語学力を以ってしては太刀打ちできない高度な内容となってきた。研究者レベルだった。景色を見て楽しむどころの話ではなくなってきた。話題をそらすために鉄道の話題を取り混ぜていったが、さすが同時通訳者は違う。鉄道用語も次々と知らない用語が出てくるのだ。後日、西山千さんの本を読んであらためて日ごろの勉強が大切かを思い知った次第・・。

 博多駅には頭がくたくたになって到着した。いままでで一番充実!!した鉄道旅であった。

*ゴーマルサン・ダイヤ改正

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 6月9日に接種したコロナワクチンは、筋肉注射のあとが腫れぼったく、少し痛い感覚が残っていたが、だんだんと腫れはひいて行った。接種前に診療所独自の工夫として上腕をアイスノンで冷やしてから注射針を入れたのが良かったように思う。






  

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