1972年8月の関西再訪(1)

 1972年7月に関西私鉄を訪問した私は、1ヶ月と経たないうちに再び関西を訪ねた。関西私鉄は関東より2つも3つもレベルが高いと感じられた。この時は家族旅行を兼ねており、甲子園の高校野球観戦を組み入れ、野球以外では別行動で電車の乗り歩きに興じた。以下は、1972年8月18日から20日にかけての記録である。

 初日は新幹線で新大阪まで行き、京阪、近鉄、南海を巡ってきた。かつて通過しただけだった京阪の複々線区間に降りてみたく、京橋から1駅目の野江駅で下車。複々線区間を行き交う京阪電車を堪能した。まだ架線電圧600Vの時代だったが、昇圧準備工事も進められていた。外観からは解らなかったが・・。

 京阪3000特急車6連野江駅.jpg 
 まずは何といっても登場間もない3000系6連である。野江駅の内側線を3+3の編成で通過してゆく京都三条行き特急。

京阪1900特急車6連.jpg
 それまでの特急車だった1900系も現役バリバリだったが、この年から格下げ改造が始まっていた。

京阪2200非冷房車.jpg
 通勤車の2200系。まだ冷房が付いていない。

京阪2400系冷房車.jpg
 通勤車として関西私鉄で初めて冷房を搭載した2400系。7連固定編成でライトがシールドビーム化されている。

京阪700系普通車.jpg
 旧型車を車体更新して誕生した700系7連。編成美が感じられた。このあと昇圧工事で再度1000型に生まれ変わる。

京阪1700+1800.jpg
 かつての特急車1700系は1800系とともに編成を組んでいた。淀屋橋地下線乗入れ対策で、窓に保護棒が取り付けられていた。

京阪KS10台社.jpg
 1800系の台車KS10。

 2019年におおさか東線開業に伴い、40数年ぶりで野江駅に降りた。複々線の線路配置や改札口付近は全く変わっていないように感じた。懐かしかったなあというのが正直な感想だった。

 野江駅から再び京橋に戻る。京橋で国鉄線に入場するも、直ぐには乗車せず、天王寺方にある乗換改札から片町線ホームに降りた。片町線は旧型国電の宝庫であった。

 片町線クモハ73とクハ79.jpg
 ホームの端からクモハ73とクハ79が見えた。

片町線クモハ73.jpg
 全金製のクモハ73。

片町線クモハ31型.jpg
 編成の反対側にクモハ31が見えた。

 旧型国電はほどほどにして、次の近鉄に移動する。

 鶴橋でははじめて布施方に踏み出した。奈良線と大阪線はまだ線路別複々線の時代である。布施駅で下車したが、高架化工事が始まる前で、奈良線、大阪線ともども地上駅に追越し設備を持った駅だった。20m4ドアー車が行き交っていたが、編成は普通に4両などがやってきて、あまり圧倒されなかった。

 近鉄布施駅(奈良線8000).jpg
 南側の大阪線ホームから奈良線を眺める。

近鉄布施駅(奈良線8000)上り.jpg
 奈良線の難波行き。手前に大阪線との渡り線らしきもの??が見えるが、600Vと1500V と電圧が違うのに絶縁されていたのだろうか。

近鉄布施駅(大阪線2800).jpg
 こちらは大阪線のホーム。上本町行き。近鉄にも通勤冷房車が登場していた。

近鉄布施駅(大阪線).jpg
 大阪線の高安方面行き。20m車ながら4連だ。

近鉄布施駅(大阪線下り).jpg
 大阪線は布施を出ると大きく右にカーブする。

近鉄布施駅(大阪線12200スナック).jpg
 大阪線を名古屋方面行きのスナックカー12200系が通過していった。

 布施までやってきたがそれ以遠には行っていない。このあと布施駅の高架化工事が始まるが、今行ってみると線路の面影は全く残っていないほど変容を遂げている。

 それと布施は東大阪市にあるが、市政施行の際に布施市とは名乗らなかったそうだ。既存の布施市とのバランスの関係だろうか。

 直ぐに大阪環状線の鶴橋まで引き返し、環状線で天王寺に向かう。鶴橋駅のごちゃごちゃ感はいかにも大阪らしい雰囲気だったが、当時はさして興味を惹かなかった。天王寺で降りて、南海電鉄大阪軌道線へ向かった。


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