大牟田市立三川小学校(その2)

 一つ前のブログで大牟田時代の小学校の思い出を書いた。その続きである。今回は児童ではなく、先生の話である。

三川小学校2年2組北島先生.jpg
 1960年大牟田市立三川小学校2年2組のみんなと。校庭の滑り台で父が写す。

 2012年に母の思い出を書いた時に、2年次の担任だった北島礼子先生のことに少し触れた。いま北島先生は90歳を越えておられる。

 タチカワ様から送って頂いた昭和40年の卒業アルバムに教職員の集合写真が載っているが、北島先生は6年生の担任だったわけではないので、最前列ではなく、左上に並んでおられる。しかし、この世代の1~2年生時の担任をされていた。途中から編入した私は、2年2組だった。お世話になった子供たちは多かったと思う。 

 北島先生との交流はわずか5ヶ月ほどだったが、その後も年賀状のやり取りは続けていた。私の母が亡くなったあと、2012年にご自身の生い立ちについて触れたお葉書を頂戴した。それによると、北島先生は女学校16歳のとき長崎原爆に被災され、ご両親と姉弟全てを亡くされたとのこと。それまで原爆のことなどをうかがった記憶がなかったので、衝撃を受けた。

 一人ぼっちになって茫然自失でどうしていいか解らず、道ノ尾駅から大川市のおばあちゃんのところに行ったこと、女学校を辞めなくてはならず、とても悲しかったこと、その後苦学して小学校の教員免許を、さらに養護教諭の資格もとったこと、後年ご主人がなくなるとき、両親や姉弟の分まで長生きしなくてはいけないよと云われたことなどが切々と書かれていた。すさまじい人生を歩まれたのだなあと感慨新たなるものがあった。私にはとても優しい先生との思い出だけが残っている。

 そして今日、NHK長崎放送局で放送された北島先生の証言記(インタビュー番組)を発見!!した。2007年にお友達と一緒に「長崎原爆100人の証言」と題する番組で、当時の生々しい記憶を話しておられた。原爆の思い出は家族にもほとんど話をしてこなかったとおっしゃっていたが、後世への体験の伝承を考えられたのだろう。


長崎原爆100人の証言/北島礼子さんインタビュー「NHK長崎放送局」(2007.10.26放送)

同、友人の龍智恵子さんインタビュー


大牟田市立三川小学校にて(父母を語るブログ)


 

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