東日本大震災から10年

 きょうは東日本大震災から10年目です。我が家では前月に母が亡くなったばかりで、暗い毎日でした。当日の行動を記しておくと、母が好きだった童謡「因幡の白兎」のレコードを求めに銀座4丁目の山野楽器へ出かけていました。

 有楽町駅からJRに乗り、総武快速線に乗り換えたところ、東京トンネルを出たところで急ブレーキがかかりました。時々激しくゆれ、架線がビームから外れるのではないかと思うほどの揺れでした。電車はE217系15連で、私は先頭車に乗車していました。空気バネなので地震の揺れなのかどうかわからなくなるほどの尋常ではない揺れ方でした。小1時間ほど停車しましたので、やがて動き出すのではないかと思っていたら、「ここで運転打切り」との車内アナウンス。思ってもいない事態になりました。

東日本大震災10年(錦糸町駅ハシゴ).jpg
 2011年3月10日、総武快速線錦糸町駅西側で非常ハシゴで降りました。錦糸町駅の駅員さんが救助に駆けつけました。

 錦糸町駅から非常ハシゴを持って駆けつけた係員により、非常コックでドアーをあけて線路に降りました。錦糸町駅ホームまで犬走りを歩き、錦糸町駅ホームに上がりました。

 その後どうなったかは、当時「ブログ」を書いていましたので、そちらでご覧下さい。結果的に錦糸町駅前の東武ホテルに避難し、翌日総武緩行線を使って帰宅しました。災害時の救護体制をそれなりに構築していた墨田区の施策に助けられました。関東大震災や東京大空襲で多くの犠牲を出した下町だったからできたことだと思っています。

 自宅に連絡しようにも電話が通じず、父はまだ納骨が済んでいなかった母のお骨とお位牌を守っていたそうです。家族が連絡もなく帰ってこない中、心細かったことと思います。この後(1年後)、助けてくれた東武ホテルにお礼の意味を込めて、父とともに宿泊しました。

 また、父が三陸海岸にはぜひ行ってみたいというので、2年たった初夏にJTBのツアーを利用して参加しました。田老で「普段は車イスのお年寄りが手を引かれて避難したのですよ。」という語り部の方の説明に、耳を傾けました。その父も、2018年に亡くなりました。


帰宅難民体験記

(ブログ)帰宅難民




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