鉄道ピクトリアル誌「総武緩行線」特集

 鉄道ピクトリアル9月号は、「総武緩行線」の特集だった。古い時代、特に旧型国電の8両編成時代から眺めてきた私としては興味深い記事が多々あった。4扉の73系の間に、3扉の旧国が挟まった編成を覚えているファンは少なくなったろう。

鉄道P誌総武緩行線.jpg
 鉄道ピクトリアル2020年7月号(通巻977号)

 総武線の国電が大きく変わり始めたのは、101系が投入された時代からだった。営団東西線との直通運転が始まって5000系が津田沼まで姿を見せるようになったと思ったら、もう103系が入ってきた。関西との国電のやり取りで若草色の101系、京浜東北線のブルー色、中央線のオレンジ色など、話題性には事欠かなかった。

 総武快速線への線路切換え工事では、しばしば珍しい風景が出現した。その中で複々線化開業2年前に行なわれた1970年の新小岩~西船橋間の線路切換えが印象に残っている。架線工事の関係からか、お茶の水~新小岩間を気動車で、船橋~千葉間を電車で運行したことがあった。新小岩~船橋間は代行バスによる運行だった。今なら終日運休にしてしまうだろう。この切替え工事で線路が高架に上がった。

 総武線に限らないが、事故が多発していたのも当時の国鉄の現状だった。私は津田沼駅でのD51牽引貨物列車の脱線事故で珍しい体験をした。脱線した蒸気機関車が上り本線を塞いでしまったのだ。このときは、2本ある津田沼電車区からの出入庫線のうち1本と、上りホーム2線が使えなくなった。それでも朝のラッシュ時真っただ中の運行を何とか確保しようと千鉄(千葉鉄道管理局)では、上り電車は上り本線ホームの海側にあった側線を使って客扱いせずに運行した。津田沼からの上り方面客は、幕張または新検見川まで逆行して上り電車に乗り換えてもらった。だが、幕張駅の跨線橋は人で渋滞してしまった。

 上り電車は津田沼駅手前で海側にあった側線(2線だけに架線が張ってあった)を使って船橋方へ通り抜けたのである。これにはビックリした。津田沼ではいったん停車したが、ホームがないので客扱いはできない。今なら「普段は乗れない回送線、車庫線」というわけだが、レールが単レールだったため、ガタガタガタガタというジョイント音とともに珍しい線へ入線したことになる。 

 また両国以遠では、小岩、市川、下総中山、船橋、津田沼に副本線があり、通過列車の待ち合わせと折返し電車が使っていた。小岩行きなどという電車があったのである。

 ピクトリアル誌の特集号は過去のエピソードを喚起させてくれ、私にとって興味深い限りであった。

 ところで、この半世紀で総武線はすっかり近代化されたが、ライバル路線である京成線(本線・千葉線)は、半世紀前とほとんど変わらぬ形態で運行されている。市川市内の全線地下化などは構想のみで立ち消えになってしまっている。寒心に堪えない。


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