書泉で「三池炭鉱専用鉄道の略歴と機関車」を求める

 炭鉱電車保存会の藤原義弘さんが自費出版された表記書籍を、昨日神田神保町の書泉グランデで購入してきた。書泉の6階は全フロアーが鉄道書(&バス)であり、昔からよく行っている書店である。6階に上がると三池本は直ぐに見つかった。平積みされており、マルーンの車体色に合わせて装丁された上品な表紙である。

三池鉄道本.jpg(A4版113頁、製作:みらい広告出版、定価1,000円)

 三池鉄道(炭鉱電車と呼ばれていた)は128年もの間、大牟田の街で走り続けてきた専用鉄道で、三池炭坑の石炭搬出のために敷かれた鉄道であった。1997年の三池炭坑閉山後(最後は三川坑)は石炭輸送を廃止したが、一部の区間は三井関連産業である三井化学の原料輸送のために存続してきた。三井化学はまだまだ盛業中だが、製品の原料となる化学製品が三池港への船舶輸送とトラックに切り替えらるという思いもよらぬ事由により、鉄道貨物輸送が終了してしまったものである。

 三池鉄道では開業以来の電気機関車等が大切に使われてきた。メンテナンスがしっかりしていたので、どの車両もピカピカであった。また、化学工場内を走行する機会のある20t電車は、架線とのスパークを避けるため、架線のない区間を電源(バッテリー)車をつないで走行するという他に例をみない車両でもあった。同書によれば電源車の導入は昭和37年とあり、私は丁度その年に東洋高圧の工業内でパンタを下ろして走る電気機関車に遭遇し驚がくしたものだ。

 三池鉄道の最大の見せ場は、複線電化、高圧ガントリー鉄塔の下を走る45t電車牽引の石炭列車であろう。子供のころは、毎日四ツ山駅周辺(ここは複々線だった!)で眺めていたが、あるとき、一人で万田坑跡まで自転車で遠出したことがあった。暗くて怖かった桜町トンネルの脇から築堤を駆け上がったら、見慣れぬ蒸気機関車が止まっていた。これは、アメリカ製のサドルタンク式蒸気機関車(ポーター社製)で、炭鉱鉄道にSLがあろうとは想像もしていなかった。SLといえば鹿児本線を走るC59やD51しか知らない時代なので、可愛らしい機関車にビックリした。

 以上のような子供時代の思い出は、すべて写真には記録していない。今となっては惜しいことをした。しかし、今回の写真集はかつての記憶の中の三池鉄道を一つ一つ引き出しから出すような思いで読みふけった。編纂された著者に心からの敬意をあらわしたい。

 
 さて、「書泉」は毎日のように通っていた書店だったが、神保町の古本街は思ったほど変わってはいない。学生相手の定食屋や喫茶店こそ減っているが、鉄道雑誌のバックナンバーを扱う古本屋は健在であった。

書泉店舗.jpg 神田神保町にある「書泉グランデ」。靖国通りの古書を扱う古本屋街の一角にある。古本屋は通りの南側にしかない。北側は西日があたるので、書籍がやけてしまうからである。

 ところで、三池鉄道の車両で他社へ譲渡されたものとして、蒸気機関車時代の5542号機がある。イギリスのベイヤーピーコック製の2Bテンダ車(国鉄から払下げ)で、北海道の三井芦別鉄道に移った機関車である。同じ三井鉱業内で移籍した数少ない例であろう。九州から北海道へ何ともロマンのある話ではある。芦別鉱の操業開始に当たっては、閉坑した万田坑から竪坑も移築されている。










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