1968年の玉電
高校生なって初めての旅行は、6つ下に記した福岡行きだったが、友人と乗り歩きもやっている。普段の行動範囲が下町だったので、山の手地区の鉄道には疎かった。そこで中学からの同級生だったS君と一緒に玉電に行ってみようということになった。彼は毎日渋谷まで銀座線で通学していたので土地勘があった。
玉電=東京急行玉川線は国道246号線を渋谷から二子玉川園まで走る路面電車である。小・中学校の遠足等で246号は通ったが、まだ拡幅工事の真っ最中で、狭い道路をあちこち仮線で切り替えながら走っていた。しかし、訪問した1969年には首都高3号線建設前だったので遮るもののない広い道路を悠々と走行していた。
200型連接車は玉電のエースだった。玉電渋谷駅は山手線玉川口の真向いにあった。廃線後は東名急行バスの始発駅になってターンテーブルが置かれていた。
200型の連接台車は1軸という珍しいものだった。
70型の「連結二人のり」。大坂上~三宿間だろうか。
首都高のない広々とした246号線の青空の下を、玉電は堂々と走っていた。
いずれも1968年11月3日撮影したが、翌年5月11日には新玉川線と首都高速の工事が始まり、渋谷~二子玉川園間、砧線が廃止となった。惜しいことをしたと思う。
玉電=東京急行玉川線は国道246号線を渋谷から二子玉川園まで走る路面電車である。小・中学校の遠足等で246号は通ったが、まだ拡幅工事の真っ最中で、狭い道路をあちこち仮線で切り替えながら走っていた。しかし、訪問した1969年には首都高3号線建設前だったので遮るもののない広い道路を悠々と走行していた。




いずれも1968年11月3日撮影したが、翌年5月11日には新玉川線と首都高速の工事が始まり、渋谷~二子玉川園間、砧線が廃止となった。惜しいことをしたと思う。
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