1964年の林間学校(日光)

下の記事を書いたあと、当時のアルバムが出てきた。私は手書きで行程を記録していた。それによると、期日は7/26~28とある。東武日光軌道線車補のパンチ穴から7/25~27と判断したのだが、1日違っていたようだ。

(1日目)学校~都電~東武浅草駅~東武日光~華厳の滝~いろは坂~中禅寺湖~遊覧船~養魚場~竜頭の滝~戦場ヶ原~白樺荘(泊)
(2日目)ハイキング
(3日目)明智平~ケーブルカー~馬返~二荒山神社~東照宮~東武日光~東武浅草~貸切都電~学校(解散18:30分)


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 1964年は東京オリンピックの年であった。でも東京の都心部は水不足でオリンピックどころの話ではなかった。多摩川水系の小河内ダムが干上がってしまったのだ。しかし、隅田川から東の金町浄水場系は無縁だった。

 私は墨田区の両国小学校の6年生になっていた。初めての東京の学校で緊張していた。東京の子に負けてはならないと・・。夏休みには林間学校があった。行先は日光だという。ふるさとの大牟田では雲仙・島原に行っていたようだが、東京の子供たちの何不自由ない生活を体験して、「これは不公平だよ」と感じていた。

日光軌道線きっぷ2.jpg 東武日光軌道線の車内補充券。馬返駅の駅員さんが記念にくれた。乗車日がパンチ穴から27日と解る。


 当時の墨田区の小学校の林間学校は日光だった。私の学校は7/25~27に実施された。なぜ解るかと言うと乗車券が残っていたからだ。学校に集合して東武浅草駅まで移動した。浅草駅までは都電で行った。しかも貸切都電である。学校から東両国緑町の電停まで少し歩く。当時の系統番号で23番である。月島方から電車がやってきた。6年生3クラスは1両の都電に乗れた。

 23番の都電は福神橋までは行かず途中の本所吾妻橋で停車した。ここでスイッチバックする。サイドチェンジの後、車掌さんがビューゲルの紐を引っ張って浅草方面へ。上野方面へ分岐したので、系統番号は24番ということになる。右側に学校の校舎ような建物のアサヒビールの工場を眺め直ぐに隅田川を渡る。渡り終えたら東武浅草駅前となる。初めて乗る東武鉄道に心が沸いた。

 松屋デパートの階段を上がると、2階に東武のコンコースがあった。西鉄福岡駅みたいだと思った。電車は墨田区内の別の小学校3校との合同の林間学校専用電車である。たしか6両編成だったと思うが、先頭側2両が我が校に割り当てられていた。ホームをどんどん前の方へ歩いてゆくと、右側に大きくカーブしている。そしてホームと電車との間は1mはあろうかと思われるほど開いていた。渡り板があったが電車に乗り込むのが怖いほどである。

 電車は後年の知識だが、5300系であった。2扉固定クロスシートの車両で、伊勢崎線の急行(有料急行)にも使われる名車であった。先頭車なので前方が良く見える。私にとっては最高の位置であった。5300系の印象は西鉄の1000型特急に似ているなという感じであった(比べる対象は常に西鉄だった)。

 ずっと複線で走ってきたが、合戦場から単線になった。戦時鉄材供出で以遠が単線化されていたのだ。複線に戻るのは1973年までかかった。北関東の平野部を走る東武鉄道から見える沿線の車内学習があった。空っ風から家を護るため、家屋の北側に木を植えて防風林としている様子が解った。隣のクラス担任だったN先生が詳しく沿線案内をやってくださった。これは参考になった。今でも使える。

 東武日光でバスに乗り換える。東武バスが大活躍していた。まだ双方向だったいろは坂を登って中禅寺湖に至り、マスの養魚場などを見学した。竜頭の滝や戦場ヶ原を見学し、夕方に宿についた。国民宿舎だと思うが、記憶があいまいである。

 2日目は戦場ヶ原のハイキングだった。最終日(3日目)が私にとってこの林間学校のハイライトであった。まず貸切バスで中禅寺湖まで行き、明智平から空中ケーブルカー(ロープウエイ)に乗った(と思う)。ロープウエイなのにケーブルカーと呼ばれていたが格別疑問は抱かなかった。後年吉野で遭遇するが・・。

 明智平からはケーブルカーで馬返(うまがえし)まで下った。東武鉄道の日光鋼索線である。ここからは貸切バスで東照宮に行くことなっていた。しかし、待てども待てどもバスがやってこない。当時のいろは坂は上下線共用の狭い1本道なので大渋滞を招いていたのだ。馬返駅前のバス駐車場にはボンネット型まで動員されて、係員がフロントガラスの団体名をめまぐるしく取り替えていた。でも、このロスは私にとっては最上の時間だった。馬返駅は鋼索線と日光軌道線(路面電車)との乗換え駅で、電車の観察にはもってこいの場所だったからだ。

 やがて添乗してきた旅行社のおじさん(両国駅前の小さなツァー会社で父兄でもあった)がどこかと連絡をとり、東照宮(二荒山)まで電車でゆくことになった。この変更は私にとって目の前の電車に乗れるとあって大歓迎だった。

 ホームにはちょうど2両連接車(200型)が停車中だった。小学校の団体が乗車するには好都合である。初めて乗る日光軌道線は単線で、軌間も狭軌であった。単行の100型は今でも岡山電軌で現役で頑張っているが、これが日光軌道線、最初で最後の乗車となった。西参道で下車したものと思われる。

 東照宮からはバスで東武日光駅まで戻った。DRC(1720系)や白帯特急(1700系)が止まっていたが、当然ながら乗れない。再び5300系の林間学校専用電車に乗車した。幕板部に「林間学校」と鉄板のサボが掲げられていたが、いま思うといかにも大私鉄東武らしい。こうして初めて宿泊を伴う学校行事が終わった。


 馬返駅で接続していた日光軌道線は1968年に、鋼索線は1970年に廃止された。馬返駅の遺構は1980年代半ばまで残っていた。後年、鉄道友の会の機関誌<RAILFAN>に写真とともにレポートしたのだが、今回バックナンバーを探し出せなかった。


 *東武鉄道日光軌道線
 *歩鉄の達人さんの軌道跡探索



 

 

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