1968年の福岡行き

 1963年(前の東京オリンピックの前年)、私が小学校5年生の時に一家をあげて上京してきたが、1回目の帰省は1968年であった。私は高校1年生になっており、夏休みに一人で福岡の祖母の家に行った。「よんさんとお」ダイヤ改正の直前の夏だった。

 心配だったのか、父が東京駅の新幹線ホームまで見送りにきた。当時の東京~九州間のメインルートは新大阪乗継の山陽特急か、直通のブルートレイン(20系)であった。飛行機などはとんでもなかった。

 行きは新大阪乗継で行った。まだ記録を残して乗車する習慣がなかったので、列車名や時刻などの特定がはっきりしないが、東京~新大阪間で「ひかり」号に、新大阪から博多までは山陽本線特急の「はと」号に乗車した。東京駅で父が私の回りの乗客に「よろしくお願いします」と頼んでいたが、当時はそうした風習が普通だった。でも私は恥ずかしかった。

 新大阪駅構内で、祖母の家に博多駅到着の時刻を知らせるため電報を打った。新大阪駅の電報取扱所は同じような目的の乗客で混雑していた。公衆電話から長距離をかけることはたいへん面倒な時代だったので電報が多用されていた。今では考えられない。「はと」は485系で、初めて乗る電車特急にワクワクしたものだ。

 隣席は中学生くらいの少女だった。見送りにきたお母さんから、「よろしくお願いしますと」頼まれて立場が逆転した。関門トンネル通過中に車内灯が消えて真っ暗になり、不安そうにしていた子に、「大丈夫」と教えてあげたことを覚えている。

新大阪はと2.jpg 新大阪駅16番線から九州特急が発車していた。スカート部には60サイクル(今はHz)用を示す白線が入っていた。それに何とバックミラーが残っている!!


 福岡には1週間くらい滞在した。西鉄福岡市内線や西鉄大牟田線、宮地嶽線などに乗った。六本松の叔母の家にも遊びに行った。渡辺通り4丁目電停から城南線六本松まで乗車したが、薬院駅(市内線は城東橋)の大牟田線との平面交差ではわざわざ撮影した覚えがある。大牟田線が通過するときには踏切警手が手旗を持って道路まで出てきて交通遮断していた。独特のジョイント音が忘れられない。後年「プラタモリ」で注目を集めたところである。

 六本松には九大の教養部があり、学生街として繁栄していた。いまは九大が筑肥線の九大学研都市へ移転したので、裁判所などの法務庁舎や検察庁、大濠公園寄りにはNHK福岡放送局が移転してきている。

薬院駅.jpg 20型の花畑行きが平面交差を通過してゆく。架線は1500Vと600Vなので絶縁してあった。一瞬だが市内電車の方は夜間には車内灯が消えていた。

天神の100型.jpg 西鉄福岡市内線では天神のど真ん中を木造車の100型が走っていた。この車両は北九州線からの転属車である。車高が高いので手動式のステップが付いていた。


 宮地嶽線では津屋崎まで乗車している。1両の単車運行で、ドアーは手動だった。西鉄の通例で駅員無配置駅を除いて途中下車が可能だった。和白での国鉄との平面交差は解消していた。

宮地嶽線乗車券.jpg 貝塚駅で買った乗車券。西鉄では途中下車できる。

宮地嶽線貝塚.jpg 貝塚駅で並んだ津屋崎行き。左側の電車に乗ったようだ。


 博多滞在中には大牟田に出かけて5年生までの担任の先生宅に遊びに行った。教頭になっておられた。天領町のご自宅までどうやっていったのか記憶がないが、帰りは大牟田駅まで歩いた。鹿児島本線の線路脇で撮影が出来た。線路は複線化、しかも電化されていた。列車が来たので特急だったらいいと思いながらカメラを構えていると、DC急行でガッカリした。しかし、今思えば、キハ26系の「えびの」号であった。

2三池鉄道.jpg 西鉄特急から三池鉄道を眺めるも大失敗。でも背後の旭町駅(仮屋川信号扱所)は今と変わっていないことが解る。

1300型特急.jpg 別の日に大宰府に出かけた。西鉄福岡駅特急ホームの1300型とわたし。

 1300型の特急に二日市まで乗車。先頭車は旧600型(昭和16年製)だった。中間車とは窓配置が合わない。西鉄福岡駅は高架化されてまもない頃だったが、この後大改造が行なわれて今ではソラリアステージの中に入った。二日市には車庫があった。

 用もないのに南福岡駅へは登場間もない寝台兼用電車581系(月光型)を見に行った。関東では見ることができない車種だったが、「よんさんとお」で東北本線にも入ってきた。

南福岡のはやぶさ3.jpg 南福岡(旧駅名を雑餉隈といった)を通過するED75牽引の「はやぶさ」号。博多で増結されてED73-1000番台に交替する。


 帰りは博多から東京まで20系寝台特急「はやぶさ」号に乗車した。1963年の上京時は座席車だったが、今度は寝台車である。しかも上段。寝台車を堪能できた。でも時間があればナハネフの車掌台で外を眺めていた。関門間ではEF30を、夜が明けると編成全体を振り返ってみることが出来た。

はやぶさ特急券.jpg まだマルスではなく、硬券にスタンプ&手書きの特急券であるが、中央の赤い三本線はなくなっていた。


 特急券は従兄弟が取ってくれた。日本交通公社福岡支店で発券されているが、この頃の指定券類購入は国鉄窓口ではなく、交通公社が一般的だった。こうして一人で旅した高校1年生の夏休みが終わった。


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