総武快速線開業から47年

 総武快速線は1972年7月に東京~津田沼間が開業した。もう47年前になる。半世紀近くが経過したことになる。千葉県の鉄道網については身近な存在だったので、鉄道ピクトリアル誌はじめ、あちこちにメモ書き風の寄稿を繰り返してきた。しかし、近年はまとまったものを書いていない。鉄道趣味というものは、自分の記憶の中にとどめておけばよいと考えてきたからだ。しかし、記憶というものは直ぐに消えてしまう。間違いや記憶違いも起きる。ここに簡単なメモ書きを残しておきたいと思う。

 開業時の東京地下駅から乗車して、第1次の開業線の変遷をたどってみたい。というわけで、東京地下駅にやって来た。

総武快速1(東京駅).jpg 地下1階の丸の内地下中央口から入場する。開業時は何もなかったが、近年地下街が整備されて賑やかになった。表示類のデイスプレイがあざやかだ。

総武快速2(地下4階).jpg エスカレータで地下4階まで降りる。ここはだだっ広いだけのコンコースだったが、最近何かの工事を行なっている。

総武快速3(第2場内信号機).jpg 地下5階のホームへ降りる。1~4番線まであるが開業時は3線(主として1~2番線=快速、3番線=特急)しか使われていなかった。4線はどの線からも相互発着が可能で、ダイヤ編成上の自由度がある。いまは色灯信号機があるが、開業時はATC車内信号機方式であった。これは画期的なことであった。国鉄としては常磐緩行線に次いで2例目。東京トンネル区間(東京~錦糸町間)に設置されていた。なお、線路脇の青いパイプ管はトンネル内でわいた地下水を河川に放流して清浄化を計る目的で、後年設置された。立会川などと聞いている。

総武快速4(第2場内入換信号機).jpg4番線ホームの中ほどにある第2場内信号機。下に誘導信号機が併設されている。1991年の成田エクスプレスの分割併合運転から設置された。先に到着した編成の後ろに連結されるが、その時に必要なものである。いまは連結開放作業は自動化されており、先行車掌の「やわやわ・・」の誘導はなくなった。

総武快速5(ATOS).jpg ホーム上にあるATOS(東京圏運行管理システム)の出発時機表示器。総武と横須賀は別々に表示されるようだ。

総武快速6(3番線).jpg お隣の3番線にも同じ設備がある。東京トンネル(東京~品川間)の工事は1973年には完成していたが、品川延長は1976年になった。本来は横須賀線との直通はもっと早く実現できるハズだったが、いわゆる横浜新貨物線建設反対運動で横須賀線の開業が遅れた。1976年10月1日に品川までとりあえず先行開業させ、直通運転は1980年になった。

総武快速6-2(E217系).jpg 4番線にE217系15連快速がやって来た。これでとりあえず錦糸町まで行ってみよう。開業時は113ダッシュ系11連であった。113系は地上系の0番台車のほかに地下線対策を施した1000番台が製造され、将来の東京地下駅乗り入れに備えて房総各線に配置されてきた。しかし、営団地下鉄日比谷線の広尾駅付近で車両が全焼する事故(焼けたのは乗入れてきた東武2000系)があり、地下鉄車両のA-A基準が、より防火基準の厳しい新A-A基準に変更された。国鉄でも同じ113系1000番台ながら東京トンネルを運行する車両は新A-A基準に準拠し、あわせてATC車内信号機を設置した113ダッシュ系1000番台車が製造されることになった。なお、いまのE217系は総武快速線の第2世代の車両であるが、もうじきE235系に置き換わる。E217系は新幹線車両並みに発進停車時のショックがなく、通勤用電車の中で名車だと思うので残念だ。

総武快速7(両国駅未使用).jpg東京を発車し新日本橋、馬喰町と停車した後、潜函工法で工事が行われた隅田川の河底を横切り地上へ出る。直ぐに両国駅から出てくる線が合流してくるが、この合流は1線だけである。両国駅列車ホームとの合流は将来複線化が検討されていたのか、付近の緩行線と快速線との間には有道床の鉄橋が使われないまま放置されている。両国から先は通常のコンクリート構造の高架線で錦糸町まで走るが、元々の高架線は鉄骨造りの連続プレートガーダー橋であった。いわゆる鉄橋が市街地にあったわけだが、地盤沈下と大変な騒音のために複々線化に先立って作り変えられた。

総武快速8(錦糸町4番線).jpg やがて電車は錦糸町駅4番線に到着する。当初はここでATCをATSに切り替えるため、特急を含めた全列車が停車していた。「運転士さん、ATCをATSに切り替えてください」というボイスアラームが運転台に流れていた。切り換えを忘れたときはどうなるかって? 冒進出来ないように非常制動が作動した。なお、両国~錦糸町間はATSが併設され、両国駅列車ホーム発着の非ATC車に対応していた。

総武快速9(錦糸町4番線反対側).jpg 乗ってきたE217系から下車した。横は電留線になっていて電車が停車しているが、本来4番線ホームに接する1線は電留線ではなかった。どういうこと??

総武快速10(錦糸町3番線).jpg 快速ホームから上り線側を見てみよう。緩行線との間に1線敷設できるようになっている。錦糸町駅は市川駅と同様の外側通過線を持つ準備工事をやっていたのである。先ほどの下り線外側の電留線は、本来快速下り通過線になる予定だった。

総武快速11(錦糸町3番線緩行線側).jpg これが開業以来使われることなく放置されてきた通過線用鉄橋。四ツ目通りを跨ぐ鉄橋である。しかし、前後の路盤には広告や花壇が作られて線路になる雰囲気ではない。

総武快速12(錦糸町3番線緩行線から眺める).jpg 階段を渡って緩行線ホームへ行く。緩行線ホームから快速線側を眺めると、快速線との間の未使用の鉄橋が目立つ。

総武快速13(錦糸町駅渡り線あたり).jpg 錦糸町からは緩行線に乗車する。発車して直ぐあたりにかつては上下線間のポイントがあり、下り線を越えて、錦糸町客貨車区へつながっていた。いま快速線の電留線がある所は土盛りして出来たもので、地上だった時代には両国とともに運転上の拠点だった。房総方面からやってきたSL牽引の蒸気機関車列車は、両国駅の4~5番線の間にあった機廻し線を使って機関車を千葉寄りに付け替え、錦糸町客貨車区まで回送していた。ここに転車台もあった。錦糸町客貨車区の機能は、両国駅の機能とともに、小名木川と佐倉に移された。

総武快速14(亀戸ホーム).jpg 錦糸町の次は亀戸。いまの快速下り線の外側に1線分の路盤が見えるが、かつての国鉄~東武鉄道亀戸線を結ぶ連絡線跡である。平井方向へ並走し、スイッチバックして築堤を降りて東武構内に達していた。

総武快速15(越中島線乗り越し).jpg 亀戸を発車すると、右から越中島貨物線が高架で4本の本線を横切ってゆく。かつては平面交差であった。今は工臨しか通過しないが、貨物全盛期には貨物列車のオンパレードであった。また、砂町の汽車会社・東京支店から出場する新車の回送(いまでいう甲種車両輸送)もさかんだった。私はD51+ボンネットの151系特急車編成を見たことがあり、このときは狂喜乱舞したものだ。

総武快速16(越中島線乗り越し3カーブ).jpg 越中島貨物線は単線だが、路盤は複線分ある。本線に並走するが、半世紀近く使われないままである。

総武快速18(平井手前).jpg 平井駅手前付近を5線並走で走る。新金貨物線とともに旅客化構想が何度も出ては消えの繰り返しである。金町~新小岩~亀戸~八丁堀間を軽快電車方式にしてはどうかと思うのだが・・。 

総武快速20(中川橋梁).jpg 平井~新小岩間で荒川放水路橋梁を渡る。複線分のトラス橋が3本並んで架かっている。一番左の貨物線は塗装がはげ、単線のままである。もったいない。

総武快速21(新小岩ホームドアー).jpg 新小岩に到着。近年人身事故が相次いだので千葉支社管内では唯一ホームドアー化されている。但し、定位置停止装置(TASK)は付いていない。

総武快速22(新小岩発車).jpg 新小岩を発車。かつての総武線は右分岐が千葉方面への本線、直進が新小岩操車場への連絡線だった。貨物が主力だった時代である。広大な操車場だった。ところで複々線化前、貴重な体験をした。平井駅を出た下りの旧型国電72系8連は荒川放水路まで力行。早くプレーキをと思っているうちに渡りきってしまった。と、突然非常制動がかかった。ガーガーがー、とブレーキシューが軋むうちに新小岩駅のホームの半分くらい行きすぎてしまった。バックしなくてはならないが、電車は動けなくなった。新小岩駅の出発信号機を越えて止まってしまったからだ。まだ、列車指令無線などはない時代。後ろを見ると鉄橋上に後続電車のヘッドライトが見えた。駅員さんが走り回り、後方防御をやってようやく停止位置に戻った。30分以上かかった。

総武快速23(新小岩操車場乗り越し).jpg 環七と交差する先で快速下り線が高架になり、快速上り線から分岐する貨物線と立体交差する。今となってはほとんど不要の産物と化している。新小岩操車場の入換機は8620、C58、D51などの蒸気機関車(新小岩機関区があった)、ついでDD13、そして、あっという間にヤードハンプをやめてしまった。

総武快速24(新小岩操車場乗り越し2).jpg これがほとんど役目を終えた立体交差部分。

総武快速25(江戸川橋梁).jpg 江戸川橋梁を渡る。ここから千葉県へ入る。

総武快速26(市川駅).jpg 市川駅には快速ホームがある。外側通過線方式である。錦糸町もこうなる予定だった。複々線高架工事途中には、いまの快速上り線を下り本線が使用し、待避線のある駅として機能していた。それより前の地上時代には海側に専用線が分岐していた。

総武快速27(西船橋).jpg 西船橋ほど変容を遂げた駅はない。田んぼの中に1958年に島式ホーム1面だけで開業した。海も見えていた。いまや千葉管内一の駅で、船橋や千葉駅よりはるかに多い乗降客を誇っている。武蔵野線が覆いかぶさる。快速線には旅客用ホームが設置できるスペースが確保されているが実現はしないだろう。

総武快速28(Sカーブ).jpg 西船橋と船橋との間には西船橋貨物駅があった。総武線高架複々線化で貨物設備が撤去される船橋、下総中山、市川駅の貨物設備を集約したもので1972年に設置された。しかし、貨物設備が使われたのはほんの15年余で、JR化後には清算事業団から敷地の払い下げが行なわれて、いまは保育園や老人保健施設、民間のマンションなどが建っている。快速下り本線は付け替えが行なわれている。

総武快速29(京成鉄橋).jpg 船橋の手前で京成電鉄が横切ってゆく。複々線化工事中には京成の橋脚を複々線分に延ばすため、京成は徐行運転を行っていた。京成ファンの私としては憤慨?したものだ。山側にレンガ造りの旧橋脚が残っている。。

総武快速30(船橋駅).jpg 船橋を発車する。船橋からは東武野田線との接続のため、千葉方に複々線のような形で連絡線の引き上げ線が延びていた。


 総武快速線開業をたどる旅はここまでとする。実は、先日同好の士である知人がなくなった。私と違って鉄道会社で運転畑と車両畑を歩き、最後は幹部社員として会社の舵取りをしていた。そんなこんなで昔を振り返ってみようと思い立ち、こんなブログを書いてみた。

 テレビで全国高校野球・千葉大会の決勝戦を伝えている。決勝戦は習志野と八千代の高校の対決になった。我が家は千葉市にあるが習志野市と八千代市との境に接しており、防災無線は3市のものが同時に聞こえてくる。また、習志野市の習志野高校吹奏楽部は、毎年我が父が入っていた老健に演奏に来てくれていた。懐かしく聞かせてもらった。



<総武快速線の変遷>
1972.7.15 東京~津田沼間開業。
1973.6.28 品川までのトンネル完成(未開業)。
1976.10.1 総武快速線品川延長。
1980.10.1 横須賀~総武快速線直通運転開始、グリーン車2両連結(過渡期には 無料開放)。
1981.7.6 津田沼~千葉間複々線化開業。
1981.10.1 快速線の稲毛停車開始。
1981.12.20 千葉駅西方の総武~房総線立体交差化完成。
1991.3.19 成田エクスプレス253系で運行開始。
1994.12.3 E217系運転開始
1997.12.18 アクアライン開通(内房線へ決定的打撃)
1999.12  最高速度120キロ(特急130キロ)へ引き上げ。
1999.12.3 113ダッシュ系運行終了。
2000.9.3  東京~津田沼間にATOS導入。
2004.2.29 保安装置をATCからATS-Pへ切り換え。
2008.3.15 品川駅の3線ホーム化完成。
2009.3.18 西船橋駅のJR/東京メトロ中間改札設置。
2018.12.9 新小岩駅快速ホームへホームドアー設置。

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この記事へのコメント

あおい
2021年01月27日 22:37
記事の4線の第2場内信号機の下にあるのは入換信号機ではなく誘導信号機ですね。併結の際前の閉塞に車両がいる場合は入換信号機は現示出来ないので誘導信号機を使います。速度は15km以下で所定停止位置まで、その後無線、信号旗、合図灯をつかって併結します。入換信号機は白色3灯式で更にその下に入換信号機識別標識、色は青と紫の中間位が設置されます。その識別標識が消えていれば入換標識という扱いです。入換標識は防護区間を持っていなく必ず操車担当か誘導担当が運転席に乗り込んできます。ポイントの開通方向が正しい事を知らせる標識です。ちなみに入換信号機にも誘導信号を設置する事も可能で入換信号機識別標識の下にオレンジのランプが付きます。
railway
2021年01月28日 09:18
ご指摘ありがとうございました。入換→誘導信号機に訂正しました。これからも宜しくお願いします。